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ベルリン旅行記

2006.12.25 〜 2007.1.1

出発までのいきさつ
 
 9月末のある晩、前の職場の同僚で友人のS君から電話がかかってきました。
「今年はベルリン方面ということでどうでしょう?」「ほかもいろいろ調べてみたんですけど、ベルリン以外はオペラの演目があまり良くないようなので・・・」
 毎年恒例になった感のある、年末から年始にかけてのヨーロッパ旅行へのお誘いです。S君とは5年前に初めてベルリンに行って以来、翌年のリンツ〜ウィーン、その次の年のミュンヘン、一昨年のプラハと(去年はお互いに忙しくて行けませんでしたが)毎年のように出かけていました。
 初めてベルリンに行ったときは、旅慣れているS君が誘ってくれたので腰の重い私も行く決心をしたという感じでしたし、もともと出不精な私は自分から旅行したことがありませんでしたから、初回以降もずっと、S君が旅行のプランニングから航空チケット・ホテル予約まで、ほとんど全てお膳立てをしてくれていました。
 私はあまり観光に興味がないので、本場のオペラやコンサートに行ければそれで文句はないし、S君は音楽以外ではヨーロッパのアンティークや蚤の市などを物色するのがお目当てですが、それに付き合うのもけっこう楽しいので、今まで旅行に不満足だったことはありません。お互いに気を使わなくて済む・・・それが長続きしている理由だと思います。
 前回は、年明けの1月に合唱団の定期演奏会が控えていたので行くのを見合わせたのですが、今年は断る理由は何もありません。私は二つ返事で行くことにしました。
 今回は12月25日に成田を出発し、年を越して1月2日に帰ってくるという、ベルリン7泊、機内泊を含む9日間に亘る旅になりました。

※文中の今年・去年・一昨年などの表記は、2006年時点のものです。

 
  1日目(12月25日)
 
 午前10時30分のフライトなので、千葉県市川市に前泊して、快速で8時30分頃に成田空港に着きました。いつものように第2ターミナルで電車を降りて、さて出発カウンターは?と確かめたら、なんと第1ターミナルになっています。慌ててターミナル間連絡バスで第1ターミナルに向かいました。出発2時間前までに空港に着いて手続きをしたほうがいいと言われているのに、9時近くになってしまい、ちょっと焦りました。ところが第2ターミナルに着いて掲示板を見ると搭乗する便の到着が遅れ、フライトが11時になっていました。
 やれやれと安心して搭乗手続きを済ませ、二人でターミナル内の食堂で朝食をとりました。しばらく和食が食べられなくなることを意識したわけではありませんが、私は和定食、S君は鯛粥でした。
 その後、両替や出国手続きなどを済ませ、無事、フランクフルト行きルフトハンザ711便に乗り込みました。
 機内のことについてはあまり書くことがありません。窓から見えるのは、右の2枚の写真のような変化の乏しい風景ばかりです。何度乗ってもこの飛行機の中の12時間あまりの時間は嫌ですね。
 フランクフルトで乗り継いで、ベルリン・テーゲル空港には現地時間の午後5時過ぎに到着しました。空港付近には雪が全くありませんでしたし、厳しい寒さを予想していたのに拍子抜けするほど暖かいので驚きました。
 空港からは路線バスで市内に向かいました。ツォーロギッシャーガルテン駅でバスを降り、地下鉄(Uバーン)に乗り換えました。前回5年前に来たときは、ちょうどマルクからユーロに切り替わるときで、地下鉄の切符を買うのに自動販売機が使えず(かと言って切符を売っている窓口も見当たらず)困ったものでしたが、今回はそんなことはありませんでした。
 ツォーロギッシャーガルテン駅から地下鉄で一区間行ったところがホテル最寄のヴィッテンベルグプラッツ駅です。駅から出ると、クリスマスだからでしょうか、タウエンツィン通りはまるで仙台の光のページェントのように街路樹に電飾が光っていました。
 ヴィッテンブルグプラッツ駅から10分ほどの道のりをガラガラとスーツケースを引っぱり、歩いてホテルに向かいました。それにしても寒さを感じません。二人で「世界的に暖冬なんだろうか?」などと話しながら歩いていきました。
 ホテルには午後7時頃にチェックインしました。現地時間では午後7時ですが、私たちの体内時計は、日本を午前11時に出発して16時間後の深夜3時の感覚です。眠くて眠くて仕方がありません。
 部屋に入ると荷物の整理もそこそこにベッドにもぐりこみました。私もS君も、午後8時過ぎにはもう夢の中にいました。







ヴィッテンベルグプラッツ駅の風格ある駅舎。

電飾の数は少ないものの、光のページェントにそっくり。

 
2日目(12月26日)
 
 ヨーロッパに来るといつものことですが、時差のため早朝に目が覚めてしまいす。まだ体内時計は日本時間で動いているので(いくら前の日に午前4時頃まで夜更かししても、次の日午後まで寝ていることができないように)、最初の朝は現地時間の午前3時(日本時間午前11時)にはもう目が覚めてしまうのです。いくらなんでも3時に起きるのは早すぎるので、もう少し眠ろうとするのですが、6時頃になるともうどうしても寝ていられなくなります。仕方がないのでベッドサイドの照明を点け、日本では出発まで忙しくてほとんど読めなかったガイドブックに目を通しました。
 今日の大仕事は、オペラやコンサートのチケット確保です。チケットは日本で予約して・・・ということは今までもほとんどしたことがなく、いつもそのとき勝負の現地調達です。
 ホテルで朝食を済ませると、店舗や施設がオープンする午前10時に合わせて出発しました。
 まずは5年前も訪れたオイローパセンター(複合商業施設)内のプレイガイドに行ってみました。ところが建物の中のプレイガイドがあったはずの場所はただの広場になっていました。仕方がないので、やはり5年前チケットを買ったKaDeWe(ベルリン最大のデパート)内にあるプレイガイドに行くことにしました。ところが今度はKaDeWeそのものが定休日なのか開いていません。そこで方針を転換し、直接劇場の窓口に行ってチケットを買うことにしました。シュターツ・オパー(国立歌劇場)、ドイチェ・オパー(ドイツ歌劇場)、コミーシェ・オパーの演目は調べてありましたが、ベルリン・フィルのコンサートの予定は分かりませんでした。運が良ければ天下のベルリン・フィルが聴けるかもしれません。まずは、ベルリン・フィルの窓口から当たることにしました。
 フィルハーモニーに行ってみると、チケットはほとんど売り切れていましたが、30日のピアノコンチェルト(ピアノ:内田光子)の一番高い席(99ユーロ)だけが残っていました。30日はシュターツ・オパーで「椿姫」をやる日で、S君はこの演目を一番のお目当てにしていました。「椿姫」のチケットが取れたらそちらを買い、駄目だったらフィルハーモニーに戻ることにして、今度はシュターツ・オパーに向かいました。
 途中、コミーシェ・オパーに寄って、今夜の「魔笛」のチケットと明日の「こうもり」のチケットを買おうとしましたが、「魔笛」の当日券は今夜6時30分から、明日の「こうもり」のチケットは明日午前11時から売るということで、どちらも買うことができませんでした。
 シュターツ・オパーに行って窓口で尋ねると、「椿姫」は今日(26日)の分も、30日の分も売り切れで、サウンド・オンリー(舞台は見えず音だけ聞こえる席)しか残っていないということでした。とりあえず、シュターツ・オパーで観るもうひとつのオペラ(28日の「愛の妙薬」)のチケットを確保しました。「椿姫」には未練があるのですが、オペラを観に来て音しか聞こえないのでは意味がないので、やはりベルリン・フィルのコンサートにしようということになりました。
 チケットが残っていることを祈りながらフィルハーモニーに戻ると窓口はもう閉まっていました。今日はマチネーのコンサートが入っているため窓口は早く開いて早く閉まったようです。そこにいた係員に尋ねると、窓口は明日の午後3時に開くとのことでした。今日はよほど運が悪いようです。
 そうこうしているうちに、今夜のオペラのチケットも確保できないまま午後4時を過ぎてしまいました。とりあえずホテルに戻り、着替えて出直すことにしました。
 今日の「椿姫」の開演が午後6時で、「魔笛」の当日券売出しが6時30分なので、最後の手段として、5時半頃からシュターツ・オパーの前でダフ屋を狙って立ってみて、うまくチケットが入手できたら「椿姫」を観るし、だめだったらその足でコミーシェ・オパーに向かい、当日券窓口に並ぶことにしました。
 5時半ごろにシュターツ・オパーに行ってみると、ダフ屋らしき人影は見えず、その代わり"Suche Karte"(チケット求む)と書いた紙を持って立っている人ばかりが目立ちます。開演時間まで待ってもどうにもなりませんでした。すぐさまコミーシェ・オパーに向かいました。シュターツ・オパーとコミーシェ・オパーは500mほどしか離れていません。行ってみるとコミーシェ・オパーの当日券窓口はまだ開いておらず、私たちが先頭に並びました。
 今度は無事にコミーシェ・オパーの「魔笛」の当日券を手に入れることができました。


宿泊したホテル・ベルリン。改装中で、建物を覆う工事のシートにはサイケデリックな絵が描かれているので、なんとも不思議な外観になっています。



クアフェルステンダム(通称:クーダム)通り。クリスマス休暇の時期だからなのでしょうか、街の目抜き通りなのに、混雑や渋滞とは無縁のようなたたずまいを見せています。



カイザー・ヴィルヘルム教会の周りにたくさん並んだ屋台。クリスマスが過ぎても賑わいは変わりません。



シュターツ・オパー(ベルリン国立歌劇場)の夜景。美しくライトアップされて、いかにもオペラハウス!という趣きのある外観です。冬のベルリンは日暮れがとても早く、午後5時半はもう真っ暗です。
コミーシェ・オパー「魔笛」
 
  序曲が終わって幕が開くと、そこはなんとも殺風景な舞台でした。良く言えばアブストラクトな、白いシンプルな空間、悪く言えば手抜きで何もない、3面が反響板のような壁だけの空間です。登場した王子タミーノがこれまたなんとも情けなく、(普通の演出では)大蛇に追われて登場するのですが、大蛇は見当たらず、よく見るとタミーノの着たジャケットに蛇が数匹絡み付いているだけです。タミーノはまるで女の子のような悲鳴をあげて逃げ回り、そのまま気絶してしまいます。
 魔力で大蛇を退治してタミーノを助けるはずの3人の侍女も、スーツを着て登場し、タミーノから蛇の絡みついたジャケットを脱がすだけです。さらに不思議なのは、(オリジナルの脚本にはないはずの)物語の進行役を務めるニュースキャスターのような女性と、アシスタントの青年2人も出てきて、タミーノにパパゲーノを紹介したりしています。およそ普通には考えられない演出です。
 それ以降も進行役の女性とアシスタント2人によって物語は進められていきます。
 夜の女王も強烈でした。ラメ入りの黒のドレス、青白くキツいメイク、黒柳徹子のような髪形で、夜の女王としては普通の格好ですが、ダーメに両側から介助されながらよろよろと登場です。ところがアリアを歌いながら手を揉みしだくと、片方の手が手首からボロっと抜けてしまいました。胸を掻きむしると乳房が取れてしまうし、頭をかかえると髪の毛が取れて丸坊主になってしまいます。(観客からは笑いが起きます。)アリアを歌い終わると倒れて担架で運ばれていきました。さらに運ばれた後には片足が抜けて落ちており、ここでも観客は大笑いです。
 3人の童子も変でした。格好は白いスーツやセーラー服など登場のたびに変わりますが、それが変なのではありません。変なのは童子の手には紐が付いていて、その紐をアシスタントの青年2人が引っぱって操っているのです。3人の童子も誰かの手先、操り人形ということなのでしょうか。
 ザラストロはダークスーツで決めていましたが、車椅子に乗っており、威厳は無く、よれよれという感じでした。
 パミーナはお姫様というよりは元気な下町の娘さんという感じでしたが、この演出の中では一番まともな普通の役かもしれません。
 夜の女王のもうひとつの(ザラストロを殺せとパミーナに命ずる)アリアでは、女王は歌いながら、アシスタントの青年2人に命じて、指示棒(ペンのような形で伸び縮みする)でパミーナを突っ付いていたぶらせます。パミーナはアリアの間じゅう、指示棒で突っ付かれ、くすぐったくて床を転げまわっています。これもかなり変です。
 一番ショッキングだったのは、パパゲーノとパパゲーナのデュエット「パ・パ・パ」です。「神様、我らに子どもを授けたまえ」と歌うデュエットで、演出によっては、歌の終わりの方にかわいい子ども(パパゲーノ・パパゲーナそっくりだったりする)が登場したりします。ところがこの演出では、デュエットを歌い終わった途端にパパゲーナの腹から白い砂が床にザーッとこぼれ落ちました。あたかも、授かった命が流れてしまったように。2人はうなだれて舞台から退場していきました。
 フィナーレもなかなか意味深でした。試練をくぐり抜けたタミーノとパミーナは民衆の祝福には興味関心が無いかのようにさっさと舞台からいなくなってしまいます。車椅子の上のザラストロは、最後にガクっと首をうなだれ臨終を迎えたように見えました。にもかかわらず民衆は万歳を叫び続け、喜びの歌のうちに幕が下りたのです。
 
 「魔笛」は、仙台オペラ協会で、演出を変えて過去2回取り上げられており、私はそのどちらにも出演したので、物語の流れは頭に入っているはずなのですが、今回のコミーシェ・オパーの「魔笛」はそのような普通の理解では追いつかないような演出でした。(あるいはドイツ語にもっと堪能であれば、理解できたのかもしれませんが・・・)


コミーシェ・オパーの建物は、ウンターデンリンデン通りに面して建っていますが、入口はその一本裏通りにあります。仙台で言うと、電力ビルの一番町側入口のような感じです。建物の外観はモダンで、あまりオペラ座らしくありません。



ところが、中は大変立派なオペラ座で、ベルリンの3つのオペラ座(シュターツ、ドイチェ、コミーシェ)のうちで最も豪華絢爛です。



「魔笛」の一場面。左から、ダーメ(3人の侍女の一人)、タミーノ、パパゲーノ。そして、ダーメが持っているのが魔笛です。このワンショットを見ただけで、どれだけ奇抜な演出か想像できると思います。


 
3日目(12月27日)

  今日最優先にやらなければならないのは、昨日に引き続きチケットの確保です。
 しっかりと朝食をとり、身支度を整えると、窓口が開く午前11時にはコミーシェ・オパーに到着するようにホテルを出ました。コミーシェ・オパーに着くと、早い時間帯のためかお客さんは誰もいません。開いたばかりの窓口で、余裕を持って今夜の「こうもり」のチケットを確保することができました。
 次に私たちはドイチェ・オパーに向かいました。31日の「フィガロの結婚」のチケットを押さえるためです。大晦日(ジルベスター)だし、人気演目の「フィガロ」なのでチケットが残っているかどうか心配でしたが、ここでもかなり良い席を確保することができました。昨日とはうって変わって、今日は好調です。あとはベルリン・フィルのチケットが取れれば言うことありません。
 ベルリン・フィルの窓口が開くのは午後3時で、まだかなり時間があるので、Sバーン(近郊鉄道)でベルリンの最近の注目スポットのひとつ、ハッケシャー・ホーフに行ってみることにしました。ホーフというのはベルリンの古い建物の中庭に当たる部分のことで、ハッケシャー・ホーフはその中庭を取り囲む建物を改装し、おしゃれなショップやカフェ、ギャラリーなどを入れたトレンドスポットです。
 S君が音楽仲間へのお土産として、いま流行りのアンペルマンのグッズを買いたいというので、ハッケシャー・ホーフの中の専門ショップに行きました。S君はここでたくさんお土産を買い込んでいましたが、私はまだ誰にどんなお土産を買うか決めていなかったので何も買いませんでした。
 午後3時に合わせて、フィルハーモニーに向かいました。3時少し前に到着すると入口のドアはまだ閉まっていました。ドアの前にかなりの人数の行列ができています。でも、私たちには、それがチケットを買おうとする人達の行列なのか、それともフィルハーモニー建物内の見学(ガイドつきの見学があるそうです)の行列なのか分かりません。係員がドイツ語で何か指示しているようですが、ドイツ語に疎い私たちにはこれまたさっぱり分かりません。
 とにかく、いくつかあるドアのうちの誰もいないところに並び、ドアが開くと同時に窓口に向かいました。窓口はまだ開いていませんでした。やった1番乗りだ!と思ったら、窓口の上の料金表の30日のところに「売り切れ」の張り紙が・・・残念!どうやらチケットは昨日のうちに売り切れていたようでした。
 30日の計画が白紙に戻ってしまいました。シュターツ・オパーの「椿姫」は舞台の見えない席しかないし、ベルリン・フィルは売り切れだし、コミーシェ・オパーは30日はオペラをやっていないし、残るドイチェ・オパー演目は「ルイザミラー」という見たこともない、話の筋も知らないオペラです。仕方がないので、KaDeWe のプレイガイドに行ってみて、そこにあるチケットの状況を見てから決めることにしました。
 昨日閉まっていたKaDeWe も今日は開いていました。プレイガイドの窓口で尋ねてみましたが、(オンラインでチケットの販売をしているのでしょう)劇場の窓口で売り切れのものはここでも売り切れていました。S君と相談して、ミュンヘンに行ったとき、やはりチケットが取れなくて、話の筋も知らないオペラ「イドメネオ」を観ることになったけれど、それはそれでけっこう楽しめたのだから、今回も「ルイザミラー」に挑戦してみようということになりました。KaDeWe のプレイガイドで30日の分のチケットも確保し、これで29日(どの劇場でもオペラをやっていないので、ベルリンを離れ、ライプツィッヒまで行くことにした日)を除いた5夜、全部オペラを観られることになりました。


ハッケシャー・ホーフに行くときに降りたSバーンのハッケシャー・マルクト駅はレンガ造りの趣のある駅舎。


  
旧東ドイツで使われていた歩行者用信号のマークをキャラクター化したアンペルマンが大人気のようでした。
 現在ベルリンでは旧東ドイツの信号と旧西ドイツの信号が混在しています。ちなみに西ドイツのものは日本とそっくりの、味も素っ気もないマークです。実際の信号機はだんだん西ドイツのものに替わっていっているようです。

コミーシェ・オパー「こうもり」
 
 開演時間が19時だということでホテルでのんびりしすぎたのと、Uバーンの乗り継ぎがうまく行かず時間がかかったのとで、 オペラ座に着いたのが開演ぎりぎりの時間でした。クロークにコートを預けて急いで席に行こうとすると、もぎりの係員に呼び止められ、近くの案内係のほうに行くように言われました。すると、案内係のおばさんは私たちを一番近くのボックス席の空いているところに座らせました。おかげで序曲の最初の方が聴けなかっただけで済みました。3階の席だったはずが、ひょんなことで2階のボックス席で観ることになりました。
 幕が開くと、舞台には工事の足場のパイプのようなもので3階建てのアイゼンシュタイン邸が組まれており、中央にはエレベーターまでついています。昨日の「魔笛」に引き続き、「こうもり」もとんでもない演出か?と思ったら、キャストの衣装も、物語の進行も非常にオーソドックスなもので、舞台装置には違和感があるものの、安心して観ることができました。
 2幕のオルロフスキー公爵邸の場面では舞台のセットがまるで宝塚のステージのように全面階段になっていました。しかもそれが場面転換のたびに回り舞台で角度を変えるという大掛かりなものでした。
 オルロフスキー公爵はアルトが歌うのかと思っていたら、出てきたのは渋いなかなか美形の男性歌手でした。話す声はバリトン系だったので、どんなアリアを聴かせるのか注目していたら、カウンターテナーでした。しかもカウンターテナーにありがちな弱々しい声ではなく、オーケストラ伴奏でも十分に聞こえる声量だし、音程も正確で表現力もあり、さすが本場は違うなあ、と感心して聴きました。(この歌手はカーテンコールでもひときわ大きな拍手をもらっていました。)
 幕間になると、私にチケットを見せて「そこは私の席です」という人が現れました。S君のところにも本来のお客さんが来たようです。さてどうしたものかと思っていたら、S君が「遅れてきた人はとりあえず空いている席に座らせて、幕間に本来の席に戻ってもらうということじゃないですか?」と言うので、3階の自分たちの席に行ってみると、ちゃんと空いていました。注意して見てみると、幕間に劇場のあちこちでそのような席交換が行われているようでした。遅刻したおかげで、そういうおもしろい劇場の慣習を実体験することができました。
 さて、3幕の舞台は刑務所ですが、このセットは1幕のアイゼンシュタイン邸をアレンジして使っており、エレベーターは独房になっていました。3幕も特に変わった演出はなく、オペレッタは無事大団円を迎えました。

 ホテルに戻ってガイドブック(地球の歩き方「ドイツ」・ダイヤモンド社)を見たら、コミーシェ・オパーのところに次のようなことが書かれていました。・・・日本で人気のカウンターテナー、ヨッヘン・コワルスキーはここで育ち、現在も活躍中。
 あのオルロフスキー公爵役の歌手は、どうやら有名なヨッヘン・コワルスキーだったようです。どうりで上手いわけです。


「こうもり」の一場面。アイゼンシュタイン(左)は、マスクを着けてハンガリーの貴婦人としてパーティーにやって来た妻のロザリンデを、珍しい懐中時計を使って口説こうとします。
 うしろにパイプで組まれたセットの一部が見えます。

 
4日目(12月28日)

 昨日まででチケットの確保が全て終わったので、今日からは安心して昼間の時間を自由に使うことが出来ます。今日は私たちも旅行者らしく、普通に市内観光をすることにしました。
 私は、5年前にベルリンを訪れたときに見られなかった、エジプト博物館の「王妃ネフェルティティの胸像」をぜひ見たいと思っていました。また、5年前に見たとき目からゲップが出る(視覚が満腹になる)ような感覚を味わったペルガモン博物館の大遺跡群も、もう一度見たい気がしました。「ネフェルティティ」は、現在、旧博物館に移されて展示されています。そこでS君と相談して、今日は博物館島(島と言っても、シュプレー川の中州のことで、博物館がまとまって建っていることからこう呼ばれています)に行って、旧博物館とペルガモン博物館を中心に見ることにしました。
 10時過ぎに博物館島に到着し、まず「王妃ネフェルティティの胸像」が展示されている旧博物館に入りました。S君は霊感が強く、こういった博物館ではいろいろと怖いものを感じてしまうと言って、1箇所に長居せず、どんどん進んでいきます。私はそういったものは感じないのですが、展示物一つ一つを丁寧に見ていると半日はかかりそうなので、かなり急いで見ていきました。
 「ネフェルティティ」がありました。本物は、写真を見て感じていたのよりもずいぶん小さく見えました。また、写真では優美な女性のイメージが強かったのですが、本物を見ると意外と骨ばっていて、少年の顔のように見えました。本物からは写真で見る神秘的な感じは受けず、「やっぱり作り物だなあ」「思ったよりみすぼらしいなあ」と思ってしまいました。(われながら、そんなふうにしか感じられない自分の即物的な感性が悲しい!)
 旧博物館を出るとみぞれが降っていました。歩いてペルガモン博物館に行ってみると、外まで見学待ちの長い行列ができています。(ヨーロッパの博物館・美術館では、館内が観覧者で混雑しないように入場制限をしているところが多いようです。)そう言えば5年前も、朝一番にペルガモン博物館に入場し、見学を終えて出てきたら長蛇の列ができていて、「ずいぶん人気の高い博物館なんだ!」と驚いたことを思い出しました。
 二人ともみぞれが降る中、行列に並ぶ気力が湧かず、「ここは、5年前に一度見ているからいいだろう」ということにして、旧ナショナルギャラリー(美術館)の方を見ることにしました。
 旧ナショナルギャラリーには特に目当てもなく入ったのですが、見て回っていたら、音楽の教科書などでよく見かけるワーグナーの肖像画(帽子をかぶった横向きのではなく、かなり晩年の白髪の方)がありましたし、順路の最後の方にはこれまた有名な「サンスーシー宮殿のコンサートでフルートを吹くフリードリッヒ大王」の絵もありました。この2点が見られたのは思わぬ収穫でした。
 気がつくと、もう午後3時近くになっていました。さすがにお腹もすいたので、赤の市庁舎の近くのツム・ヌスバウムという店で、ベルリンの名物料理・アイスバイン(骨付き豚肉の煮込み)を食べました。おいしい料理とビールでお腹いっぱいになった私たちは、すっかり満足して、のんびり街中を回ってホテルに帰りました。


王妃ネフェルティティの胸像。写真で見た方が美しい感じがしました。



ペルガモン博物館のエントランス。これは私が訪れたときの写真ではありませんが、やはり見学待ちの行列ができています。



サンスーシー宮殿のコンサートでフルートを吹くフリードリッヒ大王(部分)。本物は左右にもう少し大きく、色合いも、もっと暗い色調でした。



シュターツ・オパー「愛の妙薬」

 実は、オペラに出かける直前、ホテルのセイフティー・ボックス(部屋の金庫)に入れておいたチケットを取り出してよく見るまで、私もS君もこれから観るオペラを「メリー・ウィドー」だと思い込んでいました。
 S君が出発前に調べた資料によると、この日の演目は「メリー・ウィドー」だったのです。また、チケットを買うときも、窓口では "December 28’s ticket Please!" といった感じの かなりなブロークン・イングリッシュでオーダーしたので、演目については窓口の係員と言葉のやり取りをしませんでした。さらに、そのときは「椿姫」のチケットとベルリン・フィルのチケットをどうするかということが最大の関心事だったので、28日については、チケットが取れたこと自体に満足してしまって、演目にまで注意が及びませんでした。
 チケットはそのままほかの貴重品と同じようにセイフティー・ボックスに入れられていたので、この時まで気がつかなかったのです。
 ドニゼッティーの「愛の妙薬」はまったく知らないというわけではないものの、話の大筋が分かる程度の知識しかないオペラでした。確か「村の若者がある娘を好きになるのだけれど、内気なため、なかなかアプローチできない。それが、インチキ薬売りの惚れ薬(実はただの安ワイン)の力を借りて、途中、さまざまな紆余曲折はあるものの、最後にはめでたく娘と結ばれる」というハッピーエンドのオペラ・ブッファだったはずです。かなり前に宮教大のオペラの授業の公演(抜粋)を見ただけなので、登場人物の名前も、オペラの細かいストーリー展開もすっかり忘れており、初めて見るのとほとんど変わりありません。

 幕が開くと、たくさんの登場人物がさまざまな衣装で舞台に並び、みんなでエアロビックスか何か準備運動のようなことをしています。その間を歩き回りながら、演出家か、振付け師のような女の人(何となく仙台オペラ協会でも演出したことがある恵川智美先生ような感じ)が、動きに注文をつけたり、直したりしています。私は「確かちょっと昔の田舎の村が舞台だったはずだけれど、衣装を見ると、とても村人には見えないなあ。まるで劇団員が衣装を着けてリハーサルでもしているようだ。」と思いました。すると今度は、登場人物がみんなある娘の周りに集まって、本を読んでもらっているようです。私には、娘が脚本家か何かで、劇団員に自分の台本を読み聞かせしているように見えました。私は、記憶の中のオペラのあらすじを必死に思い出しながら「愛の妙薬」は「道化師」のような劇団を舞台にしたお話ではないはずだし、いったい何なんだろう?とますます疑問になりました。
 私は、これはシュターツ・オパーの斬新な演出で、「愛の妙薬」の舞台を田舎の村ではなく、ある劇団に置き換えたのではないか、あるいは「愛の妙薬」をある劇団の演じる劇中劇として見せているのではないかと仮説を立てました。そうすると、登場人物の(村人としては)とんでもない衣装にも納得がいきます。私は自分が立てた仮説で自分を納得させてこのオペラを観続けました。(それで別に不都合はありませんでした。)
 主人公の内気な若者は、惚れ薬の力を使って娘を口説きますが、なかなかうまく行きません。(それはそうでしょう。ただの安ワインですから)
 娘は別の軍人青年に言い寄られ、その青年の勢いに引きずられて結婚しかけますが、内気な若者の純粋でひたむきな心に気が付き、最後にはその若者と結婚することになります。
 オペラはめでたくハッピーエンドを迎えましたが、はたして私が立てた仮説が当たっていたかどうかは、分からずじまいに終わってしまいました。 


シュターツ・オパーは、昼間見ると壁はちょっとくすんだ色をしていて、みすぼらしい感じがしないでもない建物です。



同じ場所から夜撮った写真です。同じ建物がライトアップされると壮麗な感じになります。やっぱりオペラは夜観るものなのでしょうか。



「愛の妙薬」の一場面。アディーナ(左)とイカサマ薬売りのドゥルカマーラ。後には村人たちが並んでいるはずなのですが、衣装は村人のようには見えないものでした。



アディーナは、最後に村の純朴な若者ネモリーノと結ばれます。めでたしめでたし。


 
5日目(12月29日)

 今日はどの劇場でもオペラをやらない日なので、時間を気にせず、夜まで丸一日使うことができます。そこで、ベルリンを離れてライプツィッヒまで行くことにしました。ライプツィッヒはバッハが晩年を過ごした町で、バッハがカントルを務め、マタイ受難曲を初演したトーマス教会もあり、ドイツで私が行ってみたい町のひとつでした。
 いつものようにホテルで朝食を済ませ、10時台のICE(超特急列車)に乗る予定で、始発となるツォーロギッシャーガルテン駅に向かいました。
 ツォー駅の窓口でS君が切符を買おうとしたら、現在、ライプツィッヒ行きの列車は中央駅が始発とのことでした。中央駅は5年前にはなかった駅で、最新のガイドブックには載っているものの、ライプツィッヒ行き列車の始発は、まだツォー駅となっていました。ベルリンは東西統一後、ものすごい勢いで再開発が進んでおり、それは現在も進行中で、それに伴ってDB(鉄道)やUバーン(地下鉄)・Sバーン(近郊鉄道)の路線などもいろいろ変わっているようです。ツォー駅で切符は買えたものの、始発が中央駅だったため10時台の列車には間に合わず、次の11時52分発のICEで行くことになりました。
 ICEは日本の新幹線にあたる列車で、ベルリン〜ライプツィッヒ間をおよそ1時間20分で結びます。私たちは午後1時過ぎ、ライプツィッヒに到着しました。私はそれまで何となくライプツィッヒを鄙びた古都だと想像していました。けれども、実際に降り立った駅舎は堂々たる建物だし、駅前には近代的なビルも建ち並んでいるかなり都会的な町でした。
 まずはトーマス教会に行ってみることにしました。ガイドブックに「金曜の18:00と土曜の15:00には合唱団が歌い、ゲヴァントハウス・オーケストラが演奏する」と書いてあったので、今日(29日・金曜日)は何を演奏するか知りたかったからです。演奏曲目によっては帰りの列車(19時52分)を変更しなければならないかもしれません。駅から教会までは1km ほどなので、私たちは町並みを眺めながら歩いて行きました。マルクトの前を過ぎて少し行くと、広場の向こうに教会が建っています。それがトーマス教会でした。美しい教会ですが、ベルリンに建ち並ぶ大聖堂と比べるとこじんまりしています。今でこそ世界で名を知らぬものはない音楽の父・大バッハですが、当時は地方都市の教会のカントルの一人に過ぎなかったということが実感として分かりました。
 教会に入り、教会コンサートの予定一覧のチラシを見て、私は思わず興奮しました。Messe in h-moll BWV232 の文字が目に飛び込んできたからです。「うわっ、今日、ロ短調ミサ曲をやるのか! 何時からだろう?」
 時間を見ると 19.30 Uhr となっています。ロ短調ミサ曲を聴くとすると、19時52分の列車では帰ることができません。でも、バッハ縁のトーマス教会でロ短調ミサ曲を聴けるチャンスなんて一生のうちもう二度と来ないでしょう。私たちはチケットを買おうと、教会に隣接しているトーマスショップに飛んで行きました。ショップで「今日のコンサートのチケットはありますか?」と聞くと、店員さんは「今日は金曜日で、コンサートは土曜日だ」と言うのです。確かにチラシを見ると土曜日にはライプツィッヒ室内オーケストラの演奏会が予定されています。
 「そうじゃなくて、今日のロ短調ミサ曲のコンサート・・・」と言おうとして、気がつきました。ロ短調ミサ曲のコンサートの日付は12月28日(つまり昨日)だったのです。
 私は、ガイドブックで読んだ記事から、コンサートが行われるのは金曜日と土曜日だけだと思い込んでいました。それで、チラシで土曜日のライプツィッヒ室内オーケストラのコンサートの前に書かれているロ短調ミサ曲が(日付が28日となっているにもかかわらず)今日だと勘違いしてしまったのです。どうやらクリスマスから年末・年始にかけてはコンサートが普段と違う曜日や時間に行われるらしく、今日は何もない狭間の金曜日になっていたようです。ちょっと残念でしたが、こうやってハラハラドキドキしたり、ガッカリしたりするのも旅の醍醐味だと思えば楽しいものです。
 興奮が治まった私たちはゆっくりライプツィッヒを見て歩くことにしました。トーマス教会の通りを隔てた隣にバッハ博物館があります。まずはそのバッハ博物館に入ってみました。ここにはバッハに関するさまざまな資料(系譜・書簡・自筆譜・楽器など)があるのですが、その資料も楽譜は意外と少なく、ドイツ語で書かれた書類が多いので、ドイツ語に堪能でないとよく分からないものばかりです。ドイツ語がほとんど分からない私ははっきり言ってつまりませんでした。また、博物館になっている建物はトーマス教会に隣接しているけれども、そこにバッハが暮らしていたわけでもなく、部屋の作りなどからバッハの暮らしぶりが思い浮かべられるというものでもありません。さらに、博物館・美術館ではフラッシュを焚かなければ写真撮影が許されるところが多いのに、ここはなぜか全て撮影禁止でした。もしかすると私設の博物館なのかもしれません。
 その後、町の中を歩き回り、美しいルネッサンス建築の旧市庁舎などを見てから、午後3時半ごろに1525年創業の老舗レストラン、アウエルバッハスケラーに入りました。ここはゲーテや留学中の森鴎外も通った店で、ゲーテの「ファウスト」にもその名が登場するそうです。私たちはそれぞれスープとビールを注文しました。
 ドイツの酒場・レストランというと、みんながビールをガブガブ飲んでいるイメージが強いと思います。でも、私はドイツに4回来てそのたびにいろいろなところでビールを飲みましたが、ドイツの人達がビールをがぶ飲みしている姿は見た記憶がありません。みんなビールを食事の一部としてゆっくり楽しんでいるように見えました。このアウエルバッハスケラーも同じで、みんな落ち着いた雰囲気で食事やビールを楽しんでいました。酔いが回ってつい大声になってしまったおじさんが店員さんに注意されて静かにする光景も見かけました。
 ドイツに来ると、勢いに任せて一気飲みをしたり、おいしいとも思わないのに儀礼としてお酌し合ったりする日本のビールの飲み方は、ビール文化をないがしろにした失礼な飲み方のように感じます。
 アウエルバッハスケラーを出るとすっかり暗くなっていました。また町を歩きました。今度はオペラ座とゲヴァントハウスにも行ってみました。オペラ座は何もやっていないようで閑散としていましたが、ゲヴァントハウスは今夜コンサートがあるらしく灯りが点いていました。
 最後にもう一度トーマス教会に戻ってみました。教会に入ると、声楽アンサンブルがパイプオルガンを使ってリハーサルをしていました。バッハのカンタータと思われる曲をやっていて、教会の響きを確かめながらコラールを特に入念に練習していました。
 カンタータの練習が一段落するとその後には、テキストはラテン語で宗教的な内容ですが近現代の作曲家のものと思われる曲も練習していました。リハーサルとはいえなかなか上手く、すっかり聴き入ってしまいました。ずっと聴いていたかったのですが、係員が教会を閉めるため、中にいた人達に出るように促しました。
 仕方がないので、私とS君はまたゆっくり歩いてライプツィッヒの駅まで戻り、予定通り19時52分のICE でベルリンに帰りました。


ライプツィッヒの駅舎。大きな建物で、駅ビル内のショッピングモールもかなり充実していました。



トーマス教会は、白壁の美しい教会ですが、そびえ立つ大聖堂という感じではありません。



祭壇のすぐ前の床には、バッハの墓碑銘が埋め込まれています。いつも花が絶えないようです。



祭壇の方から見た教会の後方。バッハも弾いたであろうパイプオルガンが見えます。パイプオルガンはもうひとつ写真右手方向にも設置されていました。



バッハ博物館は、中央の出窓のある黄色い壁の建物です。道路を隔ててトーマス教会の隣に建っています。



旧市庁舎は、町の中心部に建つ美しい建物。現在は庁舎としては使われておらず店舗やレストランなどが入っています。



ゲヴァントハウスの夜景。もちろん現在はゲヴァントハウス(織物倉庫)ではなく、音楽専用のホールです。



教会でリハーサルをしていた声楽アンサンブルは、プロなのか音大の学生か何かなのか分かりませんでしたが、かなりの腕前でした。



 
6日目(12月30日)

 今日は土曜日、蚤の市(土・日開催)が開かれる日です。蚤の市を見て歩くことがS君の旅行の大きなお目当てのひとつですから、今日は当然蚤の市がメインになるのですが、そのほかに美術館か博物館をもう一つ見る、それと(ゆっくり買い物ができるのも今日・明日だけなので)お土産の買い物をするという三本柱で動くことにしました。
 蚤の市には一番出店数も増えて活気の出るお昼過ぎに行くことにして、その前にまず美術館か博物館です。ペルガモン博物館のリベンジも考えたのですが、同じところに行くよりも新しいところにしようと、ベルリン西南地区にあるダーレム博物館に行ってみることにしました。ダーレム博物館は民族学のコレクションが充実していて、世界の古代文明を同時に比較して見ることができるそうです。Uバーンのダーレムドルフ駅で降り、博物館に向かおうとしてふと見ると駅舎の屋根が茅葺きではありませんか。建物のたたずまいも何となく東北地方の民家のようです。思わず写真を撮ってしまいました。それにしてもドイツの駅舎は一つ一つ味わいのある建物です。
 ダーレム博物館に行ってみると何と休館でした。定期の休館日は月曜ですが、年末なので土曜なのに休館だったのです。休みでは仕方ありません。私たちはすぐ頭を切り替え、ちょっと足を延ばしてポツダムに行くことにしました。特にポツダムで見たいものや訪れたいところがあるわけではないのですが、せっかく近くまで来たんだし、どのガイドブックにも載っている有名な町だから見ておこうという単純な理由からです。
 ポツダムにはサンスーシー宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿、新宮殿、中国茶館など見所が多いようですが、私たちは宮殿やお城にはあまり興味がないし、それらは離れて点在していて歩いていくには遠いので行くのをやめ、目抜き通りの店を覗いたりしてぶらぶら歩きました。S君はちょっとしゃれたお菓子屋さんを見つけ、ここでもお土産を買い込んでいました。
 ちょうどいい時間になりました。私たちはポツダムからSバーンに乗ってティーアガルテン駅まで行き、そこから6月17日通りの蚤の市に向かいました。6月17日通りのティーアガルテン駅より西側は、約200mにわたってさまざまな商品を並べた店が軒を連ね、たくさんの人でごった返しています。
 今回、S君は古めかしい電話の受話器を探すと言っていました。私は買うつもりはないものの、見ているだけで楽しいので、不思議なものを見つけては「これは何に使うものだろうか」とか「こんなもの買う人がいるのだろうか」とか思いながら一つ一つ店を覗いていきました。
 思ったより値が張ると分かった(100ユーロを越えていた)ので受話器はやめて、S君は小さな天使の蝋燭立てを買っていました。1時間半くらいの時間でしたが、私は十分楽しめたし、S君も良い買い物ができたようです。
 引き続いて今日のもう一つの柱、お土産の買い物をすることにしました。まず、27日に行ったハッケシャー・ホーフのアンペルマン・ギャラリーにもう一度行きました。私は自分と友人たちのためにアンペルマンのペーパーホルダーを買いました。S君も足りなかった分のお土産を買い足していました。
 次にKaDeWeに行きました。S君は特に用事がなかったようですが、私の買い物に付き合ってもらいました。私は実家へのお土産は(母がティーカップを集めているので)マイセンにしようと考えていました。また、合唱団へのお土産はモーツァルト・クーゲルというお菓子に決めていました。(モーツアルト・クーゲルはウィーンに行ったときに、初めてお土産として買ったものですが、帰国して自分で食べてみておいしいと思いました。それ以来、私のお土産の定番になっています。)
 買うものが決まっていたので、KaDeWeでの買い物はスムーズに進みました。私のお土産調達はこうして半日ほどで無事終了しました。 


ダーレムドルフの駅舎。何と屋根は茅葺きで、ちょっと見ると日本の東北地方の民家のようです。



ポツダムの目抜き通りブランデンブルガー通り。歩行者天国になっています。



ポツダムのブランデンブルグ門。ブランデンブルガー通りに建っています。ベルリンのものよりずっと小さくてかわいいつくりです。



モーツァルト・クーゲル。海外旅行のお土産でおいしいと思うものはほとんどないのですが、これは例外的。写真で見ると巨大に見えますが、実物は直径3cmほどの小さな丸いお菓子です。
ドイチェ・オパー「ルイザミラー」

 ヴェルディー「ルイザミラー」は、辛うじて題名を聞いたことがあるだけというオペラでした。ヴェルディーのオペラなんだから、喜劇ではないだろうという予測はつくものの、それ以外のことは全く白紙の状態の未知のオペラです。私はとにかく頭を空っぽにして、これから舞台で起こることをつぶさに見ていこうと思いました。

 序曲の途中で舞台に灯りが入ると、紗幕を通して人影が三つ見えました。紗幕というのは、レースカーテンのように、中が暗いときには中の様子は見えないけれど、明るくなると透けて見える薄い幕のことです。序曲の間に紗幕を使って登場人物の人間関係をあらかじめ示しておいたり、物語の背景となるような出来事を見せておいたりするプロローグ的な手法は、仙台オペラ協会の公演でも何度か使われていました。
 紗幕を通しているのではっきり見えませんが、どうやら人殺しの現場のようです。一人が倒れ、一人は逃げていきました。一人はそれを見ていた目撃者のようです。そこで灯りが消え、舞台は見えなくなりました。
 序曲が終わって幕が開くと、舞台はアルプスの山々が見える広々とした風景に替わっていました。そこに白いスモックを着たあたかも「アルプスの少女ハイジ」のような娘が登場しました。朝のようで、娘は水を汲んで顔を洗ったりしています。舞台はアルプスの山小屋の中に移り、車椅子に乗った娘の父親(あるいはおじいさん?)も登場しました。村人たちも登場し、娘を祝福しています。どうやら今日は娘の誕生日か何かのようです。娘の恋人らしき若者もやってきました。娘は幸せの真っ只中にあるようです。
 ところが、舞台からみんないなくなり父親だけが残ると、そこにマフィアのような男が訪ねてきました。男と父親は何か話をしますが、それは父親にとって喜ばしくない内容のようで、男が去ると父親は嘆きの歌を歌います。(序曲で人殺しをしたのは父親で、それをネタにゆすられているのでしょうか?)
 場面が変わると、広間のような室内です。SP(セキュリティー・ポリス)かマフィアのような男たちが行き来していて、SPのボスあるいはマフィアのボス(のような男)がいます。そこにさっき父親と話をしていた男がやって来てボスと何やら話をします。さらに、あの娘の恋人らしき若者も来ました。ボスと若者も何やら話をしますが、かなり険悪なムードです。そこへさらにスーツを着たキャリアウーマンっぽい女性も登場しました。若者とキャリアウーマンっぽい女性も知り合いのようで、しかもかなり親密な間柄のようです。人間関係がいっきに絡み合ってよく分からなくなってきました。
 場面はアルプスの山小屋に戻りました。娘と父親が深刻そうな話をしています。そこに娘の恋人の若者が現れ、さらにそれを追うようにしてマフィアのボスと手下たちも登場します。いろいろ押し問答があって、最後に父親はマフィアたちに連行されていきます。
 休憩後、幕が開くと場面は同じ山小屋です。父親が連れ去られ、一人残った娘のところにマフィアの男がやって来ました。男は「父親を助けたかったら、俺の言うとおりにしろ!」という感じで、娘に何か書かせています。娘は嘆いたり抵抗を示したりしますが、けっきょく言うとおりに書かされたようです。書いた後、娘は放心状態でどぎつい(見ようによっては滑稽な)化粧をします。これはきっと自分が自分でなくなったことの表現なのでしょう。(ここまでは何とか理解できたのですが、これ以降は意味がよく分からないところが続きました。)
 舞台は、蝋燭が何百と燈った部屋です。登場したのは、マフィアのボス、マフィアの男、娘、キャリアウーマンっぽい女という組み合わせです。娘はどぎつい化粧のままで、態度も虚ろな投げやりな感じがします。娘がかなり長く話をしていて、それを聞いて残りの3人が何かやり取りしていました。
 次の場面はまた広間で、若者、マフィアの男、マフィアのボスの組み合わせです。若者はピストルを持ち出して、マフィアの男に詰め寄っていきました(どうやら決闘を挑んだようです)が、マフィアのボスに止められて、諭されているようです。(私は話の筋が分からないので、この2つの場面は見ていても、場面の意味が理解でませんでした。)
 舞台は三たびアルプスの山小屋です。父親は釈放されたらしく、娘のもとに帰ってきます。親娘は抱き合って再会を喜び、その後長いこと語り合います。父親が舞台からいなくなると、若者が登場します。若者は娘の目を盗み、ポットに何か(毒薬であることが後から分かります)を入れます。そのポットから注いだ水を若者は飲みます。若者は娘にも飲むように言って、娘も飲みます。やがて二人には毒が回って死を待つばかりとなりました。ただならぬ事態に気付いた父親でしたが、なす術もなく、ただ力なく嘆くばかりでした。
 オペラは悲劇の結末を迎え、幕を閉じました。

 けっきょく、序曲の間に見えた殺人事件が、オペラのストーリーとどういう関係にあるのか分かりませんでしたが、父親を助けるために恋人の若者を裏切らざるを得なかった娘が、最後に若者に毒を飲まされる無理心中の話だということは分かりました。ただ、場面転換が多すぎてストーリー展開が煩雑(初めて見る私たちにとっては絶望的なくらい)だし、転換のたびに時間を取り、興醒めしてしまうので、台本の完成度は今ひとつという気がしました。また、そんな台本に付けられたヴェルディーの音楽も(台本のせいか)盛り上げ方がワンパターンで変化に乏しく、ヴェルディーのほかのオペラに比べると冴えないように思われました。


ドイチェ・オパーの外観はとてもシンプルなデザインで、オペラ座というより県民会館という感じです。



ホールの内部はさらに宮城県民会館そっくりだと感じるのは私だけではないと思います。



「ルイザミラー」の一場面。村娘のルイザ(右)と恋人のカルロ(実の名はロドルフォ)。後ろにいるのはルイザの誕生日を祝う村人たち。



ワルターの城の一室。SPか、あるいはマフィアのようだと思ったのは領主(ワルター)とその従者でした。



瀕死のルイザとロドルフォ。そしてなす術もなく悲嘆にくれるルイザの父親ミラー




 
7日目(12月31日)

 今日はまず、文化フォーラムの絵画館に行ってみることにしました。文化フォーラムは、新ナショナルギャラリーとフィルハーモニーの奥に建設された複数の美術館と芸術図書館からなる複合文化施設です。絵画館は文化フォーラム内に1998年にオープンしました。それまでダーレム博物館とボーデ博物館に分かれて展示されていた絵画コレクションを統合して展示している美術館です。ガイドブックによると、この絵画館にフェルメールの「真珠の首飾りの女」があるというので見たいと思っていたのです。
 私たちはそれまでいつも10分以上歩いてUバーンのヴィッテンベルグプラッツ駅まで行って、そこからUバーン・Sバーンを乗り継いで出かけていました。ところが、地図をよく見ると、文化フォーラムは私たちのホテルから15分も歩けば着くくらい近いのです。(それに気付いたのはS君です。)
 私のガイドブックでもS君のガイドブックでも、ベルリン市街地の地図は西部と東部の二つに分けて掲載されています。私たちのホテルや最寄のヴィッテンベルグプラッツ駅などは西部の地図に、文化フォーラムやフィルハーモニーは東部の地図に載っているので、実は非常に近かったことに気がつかなかったのです。
 私たちは今日はUバーンを使わずに、運河沿いの道を歩いて文化フォーラムに向かいました。国防省の横を通り、15分ほどで文化フォーラムに着きました。
 絵画館は60あまりの展示室がある大きな美術館でした。私とS君はエントランスで1時間半後に落ち合うことにして、それぞれのペースで絵を観て行きました。
 フェルメールの「真珠の首飾りの女」は、絵画館の奥まった方の展示室に、同じフェルメールの「紳士とワインを飲む女」と隣り合わせ展示されていました。日本だとこのくらいの名画になると絵の周りに柵が設けられていたり、ガラスで遮断されていたりしますが、ここではそんなことはありません。絵の具の塗り重ねや筆のタッチまでごく間近に見ることが出来ます。また、フラッシュを焚かなければ写真撮影、ビデオ撮影も自由なので、気に入った作品といっしょに記念写真を撮っていく観光客も見かけます。日本の美術館の物々しい警備、ピリピリした雰囲気とは違った、和やかな落ち着いた空気が漂っています。
 フェルメールのある部屋に30分くらいいた私は、その後の展示室を回る時間が少なくなり、駆け足で見て約束の時間にエントランスに向かいました。
 エントランスにはもうS君が来ていましたが、S君はどこかにチケットを落としてしまったらしいと言うのです。気がついてもう一度自分が見て歩いたとおりの順路を探してみたけれど、なかったそうです。私たちが買ったのは文化フォーラム内の全ての美術館・施設と新ナショナルギャラリーなどが見学できる共通チケットでした。S君は他の美術館を見学することが出来なくなってしまいました。S君の提案で、オペラに間に合うようにホテルに戻るということで、ここから別行動をすることになりました。S君は博物館島の近くの蚤の市やアンティーク・ショップ巡りをすることにしたようです。
 私はもう一度絵画館に入り、さっきゆっくり観られなかった展示室を観て歩きました。
 その後、隣の新ナショナルギャラリーも観ました。新ナショナルギャラリーは、19〜20世紀の近・現代の絵画コレクションを中心にした美術館です。
 特別展では、近・現代建築の構想図(完成予想図)、縮尺模型、実際の建物の写真などが展示されていました。常設展はピカソ、カンデンスキー、クレーなど私でも知っている画家の作品もいくらかありましたが、多くは私の知らない画家の作品でした。旧ナショナルギャラリーや絵画館のルネッサンス、バロック、印象派などの膨大な古典作品群に比べると、こちらはコレクションの質・量ともに見劣りがしました。
 新ナショナルギャラリーを観たあとは、Uバーンを使って町の中に出て、旅行記に使いそうな写真を何枚か撮ってからホテルに戻りました。


フェルメールの名作2点も、このように間近に見ることが出来ます。



ルーベンスの作品を中心に展示している部屋。カップルがくつろいで座っていました。



ドイチェ・オパー「フィガロの結婚」

 有名な序曲が終わって幕が開くと、引越し荷物が積み上げられた部屋です。スザンナは婚礼用の被り物を準備していて、フィガロはベッドの寸法を測っているというシーンですが、部屋の造りや登場人物の服装も台本どおり18世紀半ばのスペインのセビリアらしいものでした。どうやら今夜の「フィガロの結婚」はスタンダードな演出のようです。その後登場したケルビーノも、バジリオも、アルマヴィーヴァ伯爵もごく普通でした。
 「フィガロの結婚」は大学のオペラの授業で取り組み、その後仙台オペラ協会公演でも2回出演したよく知っているオペラだし、今夜は特に驚くような演出もないようなので、落ち着いてゆっくりオペラを楽しむことにしました。
 2幕の伯爵夫人の部屋もとても立派な造りでした。大道具にはかなり力が入っているようで、1幕もこの2幕もリアルで豪華です。2幕は伯爵夫人のアリアから始まりますが、伯爵夫人役の歌い手はなかなか上手でした。(あとでスザンナとデュエットなどもしましたが、高音の伸びも声量も明らかに伯爵夫人役の歌い手の方が上でした。)
 スタンダードな演出のままオペラは進んでいきます。ちょっとびっくりしたのは、ケルビーノが伯爵夫人の部屋から庭に跳び降りるところで、オーケストラ・ピットの中に跳び降りたことでしょうか。(休憩時間に覗いてみたら、オーケストラ・ピットのケルビーノが跳び降りたところには厚いセーフティー・マットが敷かれていました。)
 休憩後の3幕も、ごく普通にオペラは進んでいきました。3幕で特筆すべきなのは婚礼が行われた広間の舞台装置の美しさでしょう。広間の背の高い窓からは中庭の木々が見えます。窓から入った日の光が広間の壁に影を落としています。ライティングが巧みで、あたかも本物の午後の日差しのようでした。
 4幕の夜の庭もリアルな舞台でした。照明もかなり光量を落としていて、リアルと言えばリアルですが、ちょっと暗すぎて見にくい気がしました。そんなことにはお構いなく、オペラはどんどん進み、フィナーレを迎えました。

 歌い手はみんなそれぞれに上手で、ソロやアンサンブルで乱れることもなく、質の高いまとまった演奏でした。また、視覚的にも非常に力を入れて制作された舞台装置で、リアルな美しい舞台だったと思います。しかし、同じモーツァルトの「魔笛」の斬新な演出に度肝を抜かれ、ドニゼッティーの「愛の妙薬」の設定でも驚かされた後となっては、有名な演目「フィガロの結婚」だけに、このスタンダードで古典的な演出では何だかとても物足りない感じがしました。


「フィガロの結婚」の一場面。スザンナ(左)が新しい部屋を片付けていると、ケルビーノが入ってきます。



大晦日の公演なので、カーテンコールでは「新年おめでとう」の釣り看板が下りてきました。



 
8日目(1月1日)

 旅の最終日になりました。昨日までで全ての予定を終了し、あとはもう日本に帰るだけといった気分です。12時55分のフライトなので、手続きのことも考えて午前11時過ぎにはテーゲル空港に到着しておきたい、空港まではバスで40分くらい見ておいたほうがいい、バスの出るツォーロギッシャーガルテン駅までは20分くらいかかるから・・・と逆算していって、10時にホテルを出ることにしました。
 S君も私も、荷造りは昨夜のうちにほとんど終わらせてありましたから、時間的には余裕がありました。テレビをつけてみると、昨夜の世界各地の年越しの様子が放送されています。ベルリンのブランデンブルグ門付近の年越しカウントダウンの様子も映っていましたが、ものすごい人出です。花火もたくさん打ち上げられて派手な年越しだったようです。それにしても、せっかくベルリンにいながら、「ブランデンブルグ門に行って花火を見よう」とか「ベルリンの年越しカウントダウンを体験しよう」とかいう気が全く起きないとは、われながら、S君も私も観光客らしくない変な旅行者だなあと思いました。
 ホテルでの最後の朝食を済ませると、最終的な荷作りをして、忘れ物はないか部屋をもう一度(二人とも職業柄、つい入念にやってしまいますが)確かめて、ホテルをチェックアウトしました。
 外に出ると今日もあまり寒くありません。けっきょく今回の旅はドイツの厳しい寒さを感じないまま終わってしまいました。バスは思ったより早く空港に到着し、空港でずいぶん時間をもてあましましたが、何事もなくルフトハンザ223便に乗り込み、日本への帰途に着きました。


終わり