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宮城教育大学混声合唱団第42回定期演奏会 (2010年11月27日)
 開演のブザーが鳴ってステージに並んだ合唱団員は20名を少し超えたほどでしたが、オープニングの学生歌は十分な声量があり、しっかりした歌声だったので、これからのステージが楽しみになりました。
 第1ステージは、コンクールステージで、ヴィクトリアとタリスのモテットが演奏されました。コンクールを通して歌い込まれているので安定感のある演奏でした。コンクールでルネサンスの曲を歌う団体にありがちな「控えめな声で、こじんまりした音楽作りをする」というのではなく、よく声が出ていたし、歌い手一人一人の自発性も見える積極的な音楽作りで、私は良いと思いました。
 第2ステージは、「Songs for All Occasions」と題されたステージで、若い恋人たちのクリスマスに近い時期の出来事を劇仕立てにして、その劇の進展に合わせて合唱を織り込んでいくというものでした。劇仕立てが全て悪いとは言いませんが、劇と音楽とのつながりが悪く、スムーズに流れないので、間が抜けたような印象を受けました。それよりも何よりも、肝心の演奏の出来が今ひとつだったので、正直言ってあまり楽しめませんでした。
 第3ステージは、宮教大混声OBでもある石川さんの客演指揮で、高嶋みどりの混声合唱とピアノのための「感傷的な二つの奏鳴曲(ソナタ)」でした。石川さんのダイナミックな指揮に応えようと合唱団が精一杯歌っていることが伝わってきました。
 第4ステージは、松下耕の混声合唱とピアノのための「信じる」でしたが、この組曲は学生の合唱団が歌うのにぴったりの内容と曲想のように思えました。実際、宮教大混声のメンバーも思い入れ深く演奏していたようです。
 これまで(宮教大に限らず)大学の合唱団の演奏会では、「そつなくまとまっているけれど、主義主張の見えないつまらない音楽作り」という不満を感じることが多くありました。私は、学生の音楽団体は、自分たちが「こういう音楽作りをしたいんだ!」「こういう表現をしたいんだ!」という思いが伝わる演奏をするべきで、そのために練習して技術を磨くのであり、仕上がりのキレイさばかりを優先させてはいけないと思っています。そういった意味では、今日の宮教大混声の演奏は(第2ステージは疑問符がつくものの)、かなりいい線行っていると思いました。
 技術的には、全体に f の表現のときには力んで、力任せで響きのない声になる、逆に p の表現のときには張りのない力の抜けたような声になって、音程も下がり気味になるといった傾向が見られ、それが「気持ちは分かるんだけど、音がついて来ない」と感じさせる一番の原因になっていたと思います。
 技術的にはまだまだ課題があるものの、後輩たちが良い方向で音楽作りをしていることが分かって、私にとっては良い演奏会でした。