〜もの思いは放課後だけで終わりませんでした〜
痕跡 2006. 9.24 |
どんと祭で記憶をなくすほどコップ酒を飲んだにもかかわらず、次の日の朝、とても爽やかに目覚めた私は、「チャンポンしないで日本酒だけ飲んだから良かったのかな?」とか、「飲んでかなり走ったりしたからアルコールの分解が早かったのかな?」とか思っていました。ところが廊下に出てみて、その意外な真相が明らかになりました。 廊下ではNさんとSさんが立ち話をしていました。「流しに吐いた跡があるけど、誰だろう」「昨夜はみんな かなり飲んでいたからなあ」 「便所まで間に合わなかったんだろうなあ」 私は、「可哀想に、自分はこんなに気分よく目覚めたのに、悲惨な奴がいたものだ」と思って部屋に戻ると、自分の部屋のドアのところに、少量の嘔吐物の跡があるのを発見しました。よくよく見てみると、それは部屋の中から点々と、流しのところまでつながっているではありませんか。さらによく見ると、流しから便所に向かう廊下にもその痕跡が点々と続いています。 どうやら夜中に吐き気を催した私は、とっさに廊下に出て、流しでその第一波をしのぎ、その後便所まで行って吐いたらしいのです。私は裸参りの後半から記憶がないので、もちろんそんなこと覚えていないのですが、なかなかいい判断だった(自画自賛)と思います。 朝の爽やかな目覚めの真相は、日本酒だけ飲んだからでも、走ってアルコールが分解されたからでもなく、夜中に全部吐き出してしまったからということでした。当然のことながら、痕跡を残した犯人である私は、それを消し去るべく、流しをきれいに洗い、廊下の汚れも拭き取りました。 あとからNさんに、鹿峰荘の裸参りの一行が境内でめちゃくちゃなことをやり始めて、その後どうなったのか聞いてみました。すると、どうやら先導していた専務がみんなを叱り付けて何とかお参りを済ませ、牛越橋を渡って帰ってきたということでした。牛越橋を渡る手前の屋台でみんなでおでんを食べたというのですが、そう言われてもやはり私は何も思い出せませんでした。 さらに後から聞いた話ですが、専務は「もうあんな連中、二度と連れて行きたくない!」と言っていたそうです。なるほどそれはそうだろうなあ、と私も思いました。 |
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