先日、ちょっと用事があって近くを通りかかったので、久しぶりに学生時代に住んでいたアパートを訪ねてみました。私は今でも同じ仙台市内に住んでいますが、学生時代とは生活拠点が全く違ってしまったため、普段の生活をしている限り、学生時代のアパート近辺に行くことはありません。前回
訪れたのは、もうかれこれ数年前、そのアパートで私の向かい側の部屋に住んでいた現在神奈川在住の友人が来仙した折、懐かしいので行ってみようということになった時でした。
その時はぼろにはなったもののアパートは健在でしたが、数年ぶりに尋ねてみると、もう建物はアパートとして使われていませんでした。空き家になって荒れ果てており、近々取り壊されてしまいそうな気配でした。青春時代を仲間と共に過ごした思い出のアパートが無くなってしまう寂寥感とともに、学生時代のさまざまな思い出が湧き上がってきました。
私が学生時代を過ごしたアパートは、牛越橋のたもとから山の方に向かってかなり急勾配な坂道を登って行ったところにあります。アパートと、そのちょっと奥にある1軒の民家のためだけの舗装もされていない坂道を登って行くと、もういい加減いやになった頃にやっとそのアパートが見えてきます。アパート正面の外壁には看板が掛かっていて「鹿峰荘」(カホウソウ)と書かれています。これがアパートの名前です。牛越橋の近くに鈴木建設という建設会社があって、そこがこの鹿峰荘の大家さんなのですが、鈴木建設の社長の奥さんが旧姓鹿野峰子さんだったので、そこからこのアパートの名前が付けられたという話です。
建物も、もともとアパート経営をするために建てられたのではなく、鈴木建設の現場に働きに来る出稼ぎ労働者の宿舎として作られたものを、出稼ぎがほとんどなくなったため、格安の値段で学生などに貸すことにしたものらしいのです。そのためアパートの作りもいかにもそれらしく、2階建ての細長い建物のまん中が廊下で、その両側に7畳(6畳+板敷き1畳)の部屋が5つずつ並んでいて、まん中付近には共同の流し・コンロがあって、端っこにはこれまた共同の便所と風呂があるというものでした。(2階も風呂が無いだけで1階と同じ作りです。)電話は、1階の玄関の下駄箱の上にピンク色の公衆電話が1台置いてあるだけでした。
流し、風呂、便所、電話が共同で、しかも壁が薄くて下手をすると隣の部屋のおならの音まで聞こえるし、窓はアルミサッシだけれど、風向きによってはサッシと壁の隙間から雪が吹き込むというとんでもない安普請のぼろアパートでしたが、学生だった私は全く気になりませんでした。何よりも1ヶ月1万円という当時としても破格に安い家賃が大きな魅力でした。
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