〜もの思いは放課後だけで終わりませんでした〜
復旧工事 2006. 5. 9 |
崖崩れを起こした鹿峰荘の現場は、一部に青いビニールシートがかけられたりしたものの、しばらくの間そのままになっていました。鹿峰荘の住人たちは一刻も早くこの危険な状況を何とかしてもらいたかったと思うのですが、鹿峰荘の建っていた土地が国有地の三居沢と隣接していて、ちょうどその境目の部分の崖崩れだったので、家主である鈴木建設も勝手に復旧工事をすることができなかったということらしいのです。(許可が下りるまで時間が掛かっているのではないかとか、国有地の工事だから業者を入札しているのではないかとか、住人の間でもいろいろな憶測が飛び交っていたようです。) 許可が下りたのか、入札で落札したのか分かりませんが、鈴木建設が工事をすることになりました。大型のショベルカーが入って復旧工事が始まりました。工事が始まってしまえばさすが建設業者、あっという間に元通りに戻してしまいました。元通りというより、鈴木建設は復旧工事で国有地の方に少しはみ出して鹿峰荘の土地を広げたようです。(大雨で崖崩れする前よりも、鹿峰荘の三居沢側の敷地がかなり広くなったからです。) 工事が終わって、鹿峰荘が三居沢に崩れ落ちる危険は一応なくなりました。でも、この崖崩れのあと、鹿峰荘の住人は何人か引っ越していったようです。(当然といえば当然のことですね。) もともと鹿峰荘の建っているあたりは地盤がゆるく、土砂崩れしやすい土地のようです。鹿峰荘とその奥に民家が1軒しかないというのも、それら2軒が建った後に、その辺りが災害危険地域に指定されて、それ以降建物が建てられなくなったからだということです。 実際、牛越橋から鹿峰荘まで登る坂道は、大雨が降るとたびたび小規模な土砂崩れを起こしていましたし、私が鹿峰荘に住み始めてからも2回ほどかなり大きな土砂崩れを起こして、下にある交通公園が使用不可能になったことがありました。 |
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