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もの思いの帰り道

〜もの思いは放課後だけで終わりませんでした〜

 L.ディーチュ                                              2007. 2.25
 アルカデルトのアヴェ・マリアについては、以前から疑問に感じることがありました。疑問を感じ始めたのは、アルカデルトが16世紀のフランドル楽派の流れを汲む作曲家だということを知ってからです。フランドル楽派というのは、ジョスカン・デプレに代表される技巧的なポリフォニー音楽を特徴としています。アルカデルトがフランドル楽派の作曲家だとすると、完全にホモフォニックなアヴェ・マリアはその作風・様式があまりにも違い過ぎるのではないかと思っていたのです。けれども、そのような疑問を感じつつも、大学を卒業してからアヴェ・マリアを含めアルカデルトの作品を歌う機会は今までなかったので、アルカデルトについて深く追求して調べることはありませんでした。

 ところが、今回「あいうえ音楽家名鑑」でアルカデルトを取り上げることになり、あらためてアルカデルトについて調べてみて、驚くべきことが分かりました。
 まず、グローブ世界音楽大事典を見てみました。アルカデルトの作品表が載っていたのですが、その宗教作品の中にアヴェ・マリアはありませんでした。これだけ有名なアヴェ・マリア(逆に言うとアルカデルトの名はアヴェ・マリア以外で聞くことはまずない)なのに、どうしてないのでしょうか。音楽大辞典のアルカデルトについての本文を読んでみても、その答えになるようなことは書いてありません。疑問は深まるばかりでした。
 仕方がないので、「アルカデルトのアヴェ・マリア」でインターネット検索をかけてみました。するとかなりの数のサイトがヒットし、それらを見たら疑問はあっけなく解決してしまいました。
 結論から言いますと、アルカデルトはアヴェ・マリアという曲は作曲しておらず、現在、アルカデルトのアヴェ・マリアとして知られている曲は、アルカデルトの "Nous voyons que les hommes"( 人は愛を徳となすと見ゆ )という世俗曲のメロディーに、後世、ある音楽家がアヴェ・マリアの歌詞をつけて4声に編曲したものらしいのです。(文章表現はさまざまですが、複数のサイトにそのような内容のことが書かれていました。)
 編曲したのは L.ディーチュ(1808〜1865)という音楽家で、彼は1842年に「アルカデルトの4声のアヴェ・マリアを発見した」と言ってこの曲を発表しましたが、後の研究で、それが捏造であることが判明しました。ディーチュはパリの王立古典宗教音楽学校やパリ音楽院で学び、マドレーヌ教会礼拝堂の楽長やニデルメイエール校の作曲科教師、オペラ座の合唱指揮などをした人です。ニデルメイエール校で学んだフォーレはこのディーチュに教えを受けました。ディーチュは、作曲家としてはこれといった作品を残しませんでしたが、アルカデルトの隠れた名曲を掘り起こし、編曲し、それを世に知らしめるという大きな業績を残したと言えます。なぜなら、数あるアヴェ・マリアの中で、アルカデルトのアヴェ・マリアは最も有名なものの一つですが、もし、ディーチュがいなかったら、現在、アルカデルトの名を知る人など皆無に近かったと思われるからです。
 これで私の疑問はすっかり解決しました。フランドル楽派の作曲家アルカデルトが作った世俗曲のメロディーを、19世紀の音楽家ディーチュが4声に編曲したものが「アルカデルトのアヴェ・マリア」だったのです。19世紀の人間が編曲しているのですから、作風・様式がフランドル楽派と違っているのは当然と言えば当然のことでした。

 それにしても天国のアルカデルトはアヴェ・マリアなど作曲した覚えがないのですから、他人が捏造したアヴェ・マリアで自分がこれだけ有名になっていることに驚いているかもしれませんね。

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