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あいうえ音楽家名鑑 あ (アルカデルト) 2006.12.17 |
この「あいうえ音楽家名鑑」はその名のとおり、アイウエオ順に一人の音楽家を取り上げ、その音楽家と私との関わりについて書いていくシリーズです。取り上げる音楽家は、作曲家・指揮者・演奏者として音楽辞典に載るような有名な人達になりますが、私との関わりといっても、実際に親交があるわけではありません。私が一方的に憧れていたり、崇拝していたり、好きだったりしているだけですが、私がその音楽家にどういう影響を受けてきたか、そんなところを書いてみようと思っています。第1回は「あ」、作曲家アルカデルトについて書きます。
私は幼い頃、アルカデルトの名を知るずっと前から、アルカデルトの「アヴェ・マリア」を毎週のように聞いていました。みなさんもそうかもしれません。なぜならば、あの伝説的なバラエティー番組「8時だよ!全員集合」の中の一つのコーナー「少年少女聖歌隊」のオープニングで、聖歌隊のメンバーが整列するまでの間、バックに流れていた曲だからです。
ドタバタしたコントの合間に置かれた「少年少女聖歌隊」のコーナーも、中身そのものはやはり音楽を絡めたギャグやコントなのですが、オープニングに流れる「アヴェ・マリア」のオルガンの響きは、明らかに番組の前後の雰囲気とは全く世界が違うもので、一服の清涼剤のような気がしました。(今考えてみても、その場の雰囲気をガラッと変えるこの曲は、場面転換のBGMとして非常に効果的なものだったと思います。)
そのときは漠然と「有名な讃美歌か何かなんだろうなあ」と思いながらも、別に曲名を調べようともしませんでしたし、まして作曲者が誰かなどとは考えもしませんでした。
この曲に再会したのは大学に入学して混声合唱団に入ったときです。何と、この曲が合唱団の愛唱歌集に収められていました。それで「アヴェ・マリア」という曲名も、アルカデルトという作曲者も、曲が「8時だよ!全員集合」で流れていた8小節だけでなく、それに続く部分がずっと長いということも分かりました。
アルカデルトの「アヴェ・マリア」は、冒頭の8小節は穏かで、いかにも宗教曲という感じがしますが、それに続く部分はかなり情熱的な音楽になります。それが曲の終わりに向かって次第に鎮まっていき、アーメンで静かに曲が閉じられます。幼い頃から知っていた最初の8小節も好きでしたが、それに続く部分も含め、アルカデルトの「アヴェ・マリア」は私の最も気に入った宗教曲の一つになりました。当時、宮教大混声合唱団は、演奏会にミサ曲などをよく取り上げていましたから、いつの日かアルカデルトの「アヴェ・マリア」以外の曲も歌う機会があるのではないかと期待していたのですが、その機会はついぞ訪れませんでした。
大学を出てからも一般の合唱団で歌い続けていますが、「アヴェ・マリア」以外でアルカデルトの名を聞くことはありません。でも、私の中で、アルカデルトは、物心付いて初めて敬虔な雰囲気を味わわせてくれた名曲「アヴェ・マリア」の作曲家として燦然と輝いています。 |
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もの思いの帰り道 >> |
あいうえ音楽家名鑑 い (岩城宏之) 2007. 2.24 |
私が岩城宏之に興味を持ったのは、彼が指揮するオーケストラの演奏を聴いたからではありませんし、彼が東京混声合唱団の音楽監督を務めていたからでもありません。
きっかけは彼が書いた1冊の本でした。その本は「岩城音楽教室〜美を味わえる子どもに育てる〜」で、現在は光文社・知恵の森文庫から出てますが、初めて読んだときはカッパブックスの新書版でした。(確か副題も〜ワクをはずしてもっと楽しもう〜だったように記憶しています。)ただ、初めて読んだのはいつだったか、また、なぜこの本を手に取って読もうとしたのか、細かいところはもう覚えていません。たぶん、読んだのは大学で合唱を始めたころだと思います。大学で合唱団に入るまでこれと言って音楽に関わりのなかった私は、そのころ、音楽についての一般教養を身に付けようと、ためになりそうな本を手当たり次第に読んでいました。そんな音楽初心者の私でも、もちろん岩城宏之の名は知っていました。メルボルン交響楽団を中心に世界で活躍する日本人指揮者として、ボストン交響楽団の小澤征爾と並んで脚光を浴びていたからです。その岩城宏之が書いた音楽教室と名のついた本だから読んでみようと、そんなところだったと思います。
ところが、読んでみたらこれが面白いのです。文章はその人を表すと言いますが、その本の内容はもとより、岩城宏之のユーモラスで前向きな人柄や音楽の考え方に惹かれました。そこで、それまでオーケストラの指揮者にはあまり興味がなかったのですが、こんな面白い文章を書く人は、いったいどんな音楽をするのだろうと(普通とは全く逆のコースで)岩城宏之の音楽にも興味を持ちました。
岩城宏之が東京混声合唱団の音楽監督だということはその後で知りました。また、現代曲の初演を数多く手がけている(自らの使命と考えて、現代曲を演奏したり、委嘱したりして普及に努めている)指揮者だということも分かりました。
私は、指揮者による演奏の違いで好き嫌いを言うほどオーケストラの曲に詳しくないのですが、一つはっきり印象に残っている演奏があります。武満徹のマージナリアの演奏を、私は岩城宏之の指揮で初めて聴きました。(たぶん初演のFM放送か何かをテープに録音したものを聴いたのだと思います。)そのときは不思議な音楽だと思いながらも何となく気に入って聴いていました。新曲なので、当然のことながら比べる演奏もなく、マージナリアとはそういう曲なのだと思って聴いていたのです。
数年後、(名前は忘れましたが)海外のとても有名なオーケストラが、(これまた名前は忘れましたが)有名な外国人指揮者の指揮でマージナリアを演奏したのを聴きました。ところが、これがひどくつまらない演奏でした。武満徹の曲は現代曲ですから、古典的な曲と違って演奏様式が決まっているわけでもないし、どこがどう違っているかよく分からないのですが、明らか岩城宏之の方が音楽が生き生きしていて面白いのです。そのとき、岩城宏之という指揮者のつくる音楽の凄さを感じました。
もう一つ、岩城宏之が凄いと思ったのは東京混声合唱団を指揮して録音した林光編曲の日本抒情歌曲集と、武満徹の「うた」の演奏です。同じ曲目を関屋晋と晋友会合唱団が演奏したCDも出ています。日本合唱界のトップ・クラスの指揮者と合唱団である関屋晋と晋友会合唱団の演奏も、もちろんすばらしいものなのですが、私には岩城宏之が指揮した演奏の方が断然しっくりくるのです。
もともと打楽器奏者(東京芸大打楽器科)だったし、オーケストラが専門で、合唱指揮者ではないはずなのに、合唱団を指揮して純粋な合唱曲を演奏してもこんなにもしっくり腑に落ちる音楽をつくる岩城宏之は本当に凄い指揮者だと思います。
※最後になりましたが、つつしんで岩城宏之氏のご冥福をお祈りいたします。 |
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あいうえ音楽家名鑑 う (内田光子) 2007.3. 3 |
私はモーツァルトのピアノ曲のCDを買うときは内田光子が弾いているものを買います。私の中では、モーツァルト弾きとしては内田光子が定番です。(内田光子は世界的に有名なピアニストだし、「私の中では〜」などと断わらなくても、内田光子のモーツァルトは定評があるのかもしれません。でも、私にとっては世間の評判より、自分が気に入るかどうかが重要なのです。)
私が内田光子をいいなと思ったのは、映画「アマデウス」がきっかけです。(おっと、このように書いてしまうと「風が吹くと桶屋が儲かる」のようで、よく分かりませんね。ちゃんと順を追って書くことにします。)
映画「アマデウス」は天才モーツァルトをサリエリの視点で描いたドラマで、音楽史上の事実を踏まえながらもフィクションを加えたとても面白い映画でした。映画の中にモーツァルトの音楽がふんだんに、しかも効果的に使われていましたが、私は、映画のエンディングに流れていたピアノの曲が特に印象に残りました。調べてみると、それはピアノ協奏曲
第20番 ニ短調 K.446 の第2楽章だということが分かりました。映画ではアルフレッド・ブレンデルのピアノ、ネヴィル・マリナーの指揮するオーケストラで演奏された録音が使われていたようです。ところが、当時、版権の関係からか映画「アマデウス」のサウンド・トラック盤にはこれが入っていなかったように記憶しています。(この曲が入っていなかったか、別の演奏者のものが入っていたか忘れました。)また、ブレンデルとマリナーが演奏したCDは、モーツァルトピアノ協奏曲全集として発売されており、単独のCDとしては売っていませんでした。当時の私に、たった1曲を聴くために全集を買うほどの余裕はありませんでした。仕方がないので、別の演奏者のものを探すことにしました。
普段は同じ曲を演奏者ごとに聴き比べるなどということはしないのですが、この時は結果的にそうなってしまいました。いっぺんに何枚もCDを買うほどお金がなかったので、まず1枚買って聴いてみました。最初に買ったのが誰が演奏したものだったかもう忘れてしまいましたが、だめでした。映画のエンディングで聞いて印象に残ったのとは何かが違う、しっくりこない演奏でした。またお金を貯めて別のCDを買って聴いてみました。でも、やっぱり何か違うのです。それでまた別の演奏・・・そうやって5枚目くらいでしょうか、内田光子のピアノ、ジェフリー・テイトの指揮するオーケストラの演奏にたどり着きました。
この演奏を聴いたとき、「映画の中のものとは違う演奏だけれど、フィーリングは似ているし、これなら落ち着いて聴けるな」と納得しました。それ以来、私の中で内田光子はしっくりくるモーツァルト弾きとして定番になりました。
かなり経ってから、映画に使われていたブレンデルとマリナーが演奏したものが単独のCDとなって発売されました。さっそく買って聴いてみて驚きました。二つの演奏はとても似ていると言えない演奏だったからです。今となっては、どうしてその当時この二つの演奏がフィーリングが似ていると感じたのか分かりません。けれども、今でも内田光子が私のモーツァルト弾きの定番であることに変わりはありません。 |
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あいうえ音楽家名鑑 え (該当者なし) 2007. 3.24 |
私が好きな音楽家で、「え」で始まる姓の人はすぐには思い浮かびませんでしたので、グローブ世界音楽大事典の「え」の項目を見てみました。
ページをめくっていくとまず、「エッシェンバッハ」の名前が目に留まりました。エッシェンバッハは私の中ではピアニストとしてのイメージが強い人ですが、最近は指揮者としての活動の方がメインになっているようです。エッシェンバッハのあと、ページをめくって目に留まった人物を順にあげていきます。
「エディソン」 トーマス・エディソン、発明家のエジソンです。なぜエジソンが音楽事典に載っているのかと思ったら、フォノグラフ(レコード)の発明が音楽と関わっているということのようです。
「江藤俊哉」 日本人ヴァイオリニストとして世界的な活躍をした人ですが、私は名前を知っているだけで、演奏を聴いたことはありません。
「海老澤敏」 モーツァルトの研究家として有名ですが、私は学生の頃、何冊か著書を読んだことがあるという程度です。
「エリントン」 デューク・エリントン、作曲家・アレンジャー・バンドマスターとしてジャズ界のビッグネームです。ジャズに詳しくない私も知っているくらいだからよほどすごい人だったのでしょう。
「エルガー」 小品「愛の挨拶」や行進曲「威風堂々」(現在、仙台市内の小学校で使われている音楽の教科書に、リコーダー合奏で載っています)で有名な作曲家です。「威風堂々」は、テレビアニメ「あたしンち」のテーマソングとしてメロディーが使われていたこともあって、小学生の間でもポピュラーです。そのほかにも、エルガーは、最近話題の「のだめカンタービレ」でも、のだめと千秋真一が三善家のサロンでヴァイオリン・ソナタを演奏する場面(コミック第6巻166〜176ページ)で取り上げられて、脚光を浴びました。
音楽大事典の作品目録を見ると、エルガーは20曲あまりの合唱と管弦楽のための作品、100曲ほどの合唱曲のほか、独唱曲も数多く作曲していますが、そういった声楽の分野ではあまり有名なものがないようです。
ということで、グローブ音楽大事典でもこれといった人物は見つからず、あいうえ音楽家名鑑の「え」は今のところ該当者なしということにしておきます。 |
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あいうえ音楽家名鑑 お (小澤征爾) 2007. 4.22 |
小澤征爾の名は大学に入る前から知っていました。それはある意味当たり前のことだったかもしれません。当時、小澤征爾はボストン交響楽団の常任指揮者として、岩城宏之と並んで世界的な活躍をしていたからです。でも、私はただ単にそういう事実を知っていたというだけのことで、小澤征爾が指揮した音楽を聴いたこともなければ、小澤征爾がどんな指揮者なのかもよく知らなかったし、オーケストラ指揮者で合唱とは直接関係がなかったこともあって、特に関心もありませんでした。そんな小澤征爾を深く知るようになったのは、合唱団の先輩のNさんの影響です。
Nさんは、私が宮教大混声合唱団に入団したときの副指揮者、次の年の正指揮者です。Nさんは高校時代は弓道をやっていて合唱とは全く関わりがなかったのに大学で合唱を始めたという変り種で、それでも1年間音楽について猛勉強して副指揮者になったという努力家です。中学・高校とずっと器械体操をやっていて、大学で初めて合唱団に入った私は、同じような経歴でありながら今や合唱団の指揮者をしているNさんが憧れでもあり、目標でもありました。そのNさんが小澤征爾の信奉者だったのです。信奉者といっても、Nさんが小澤征爾の音楽を絶対視していたというのではありません。小澤征爾の音楽に対する姿勢を鑑としていたというべきかもしれません。
私はNさんに小澤征爾が書いた「ボクの音楽武者修行」をはじめとするエッセイなどの本を何冊か貸してもらって読みました。その中に書かれていたのか、あるいはNさんから聞いたのかそれは忘れてしまいましたが、小澤征爾の日々の勉強についてが今でも印象に残っています。
小澤征爾は、前の晩にコンサートの本番があっても、何かのレセプションやパーティーがあって遅くなったときでも、必ず早朝に起きて音楽の勉強をするということでした。早朝といっても5時や6時ではなく、確か3時とか4時といった深夜といってもいいくらいの早い時間から勉強するというのです。そしてそれが毎日のことだというのです。ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した実力の持ち主が、毎日そうやって勉強しているということに驚き、そして感動しました。
Nさんは「学生指揮者なんて、ほかの合唱団員と比べて特に音楽性が秀でているというわけではないじゃないか。そんな学生指揮者が、指揮者として団員の前に立つ拠りどころとなるのは、ほかの誰にも負けないくらい勉強をしているというその事実だけだ。」といつも言っていました。私はそんなNさんと、Nさんが尊敬する小澤征爾が、音楽を追求する真摯な姿勢においてダブって見えました。
私はNさんを通して小澤征爾を知り、Nさんが尊敬する小澤征爾を同じように尊敬するようになりました。
ただ、そのときも、それ以降も、小澤征爾の指揮した演奏そのものに特に感銘を受けたとか、小澤征爾のつくる音楽そのものが特に好きだとか感じたことはありません。それが演奏そのものが大好きな岩城宏之とは異っている点です。 |
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