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もの思いの帰り道

〜もの思いは放課後だけで終わりませんでした〜

ロ短調ミサ曲の演奏                                          2005. 7.17
 ロ短調ミサ曲は、教会カンタータやモテット、受難曲などと同様にバッハの宗教曲として分類されていますが、その性質は他の曲とは異なっています。ロ短調ミサ曲はバッハがそれをどこかで演奏しようとして作った実用のための音楽ではありません。
 研究によると、ロ短調ミサ曲の成立の過程はそれぞれの曲・部分によって作曲年代が違ったり、新作だったり旧作のパロディー(転用)だったりと、かなり複雑なようです。しかし、成立の経緯は複雑ですがバッハの思いはただ一つだったようです。ほかの誰のためでもなく、まして自分の地位やお金のためでもなく、純粋に自分の音楽の集大成として一つの大きなミサ曲を纏めあげようとしたものらしいのです。つまり実用を目的としない普遍的な祈りの音楽としてのミサ曲の完成を目指したのです。
 だから、現在ロ短調ミサ曲を演奏するにあたっては、ことさらバッハの時代の教会のオーケストラや合唱隊の人数・規模にとらわれる必要はないのではないか、それよりも、バッハがどんな音を求めていたか・理想としていたかを考えて具現化していく方が大切なのではないかと思うのです。

 私は、トランペットやティンパニーの入る曲は大規模な合唱団で歌った方がいいと考えています。特に Sanctus は歌詞の内容からも、天地を埋め尽くすほどの天使たちが主を讃えて呼び交わすごとく、十分な人数と声量で壮麗に歌われるべきだと思います。
 では、トランペットやティンパニーが入っていない曲は小さな編成の合唱団がいいかというと、一概にそうとも言い切れません。例としては、Et incarnatus est があげられます。この曲はミサ曲全体の中でも編成が小さく、ディナーミクもフォルテになることはないので、当然小アンサンブル的な合唱にすることが考えられます。しかし、処女マリアが身ごもり、キリストがこの世に生を得るという神秘的な瞬間を全世界のキリスト者が息を詰めて見守るというような意味合いを考えると、あえて大規模な合唱団が全員で、出来得る限りの細心の弱声で歌うのも正しいアプローチのように思えます。
 このように考えると、これが唯一絶対の規模 ・人数というものはなくて、結局のところ、演奏者がロ短調ミサ曲をどのように捉えるかというところに帰着するように思います。

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