もの思いの放課後

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ロ短調ミサ曲@                                         2005. 5. 21

 ロ短調ミサ曲のCDで一番気に入っているのは、カール・リヒターが指揮した1961年録音のものです。もう40年以上前の録音ということになるのですが、いまだにこれより魅力を感じる演奏に巡り合っていません。
 1980年代以降、古楽器(オリジナル楽器、ピリオド楽器とも言うそうです)を使い、時代考証を重んじた演奏が次第に一般的となり、今やCDではリヒターのようなモダン楽器を使った演奏は逆にめずらしくなりました。まるで、古楽器を使い、合唱も当時の教会の合唱隊に合わせて少ない人数にするのがバッハ演奏のお約束であり、それ以外のものはもう時代遅れといった風潮です。リヒターの演奏などはとっくに過去のものと言われそうです。でも、本当にそうなのでしょうか。
 私は、リヒターの演奏の Kyrie の第一声にまず心を打たれます。私には Kyrie のテーマ(第1Kyrie 、第2Kyrie のどちらも)が、さまざまな悩みや苦しみを抱えて悶々としている音、あるいは出口の見えない悩みの迷宮をさまよい歩いている音のように聞こえます。だから、Kyrie の第一声は、悩みを抱え苦しんでどうしていいのか分からない者が、神に向かって助けを求める叫びだと思えて仕方がないのです。リヒターの演奏では、Kyrie の第一声は、まさにあのたった4小節に全身全霊を懸けたような響きがします。それに続くテーマも非常にゆっくりしたテンポで、噛み締めるように歌われています。
 自分の力ではどうしようもない、もう神にすがるよりほかない、それが Kyrie (「憐みたまえ」などという他人事みたいな和訳では生温いくらい)だと思うのです。そして、そういうぎりぎりの切羽詰まった重い Kyrie があってこそ、それに続く Gloria 以降の曲がより深い意味を持ってくるのだと思います。
 ところが、私は最近の演奏でそういう Kyrie にお目にかかったことがありません。古楽器による演奏ではだいたいにおいて、第一声は美しく透明な響きで端正に歌われ、それに続くテーマは、テンポが速く、アーティキュレーションも軽やかで、とても悩みや苦しみを抱えているようには聞こえないのです。これはバッハの時代の演奏を再現していることには違いないのでしょうが、はたしてバッハが求めていた音楽を表現していることになるのでしょうか。
 私はリヒターの演奏が絶対だとは思っていません。実際、Kyrie 以外では、私も「もう少し軽やかな方がいいのではないか」と感じる曲がいくつかあります。また、リヒターは旧バッハ全集の楽譜で演奏しているので、新バッハ全集との違いが気になるところもあります。
 だから私は、新しい演奏でリヒターと同じように(あるいはそれ以上に)私を納得させるものはないだろうかと探し求めているのです。


ロ短調ミサ曲A                                      2005. 5.22
@ A B C

 リヒターが指揮したロ短調ミサ曲を、最初はレコードで聴いていました。2つの受難曲やクリスマス・オラトリオは早くCD発売されたのに、ロ短調ミサ曲はなかなかCD化されなかったからです。
 
CD化されてすぐに買ったか、しばらくはレコードで聴き続けていたかはっきり記憶がありませんが、CDになって買ったのが@です。
 レコードは何年か前にプレーヤーを処分する際に、CDが一般的になってからも頑なにレコードで聴き続けている音楽関係の知り合いにあげてしまったので、今は手元にありません。
 ところが、最近HMVでAを見つけて思わず衝動買いしてしまいました。なんと、レコードとすっかり同じデザインでCDサイズに縮小された紙箱入りのものが限定発売されていたのです。家に帰ってきて開けてみてまたびっくりしました。中のCDまで、Bのようにレコードそっくりではありませんか。ここまで凝って作ってあるとうれしくなります。音源は@と同じものですが、これは宝物としてとっておきたいCDです。
 さて、定期演奏会でロ短調ミサ曲に取り組むにあたってリヒター以外のものも聴こうと、あるCD評を見て買ったのがCです。指揮はカルロ・マリア・ジュリーニ、バイエルン放送交響楽団・合唱団の演奏です。
 悪くありません。と言うか、いい演奏だと思います。名指揮者が80歳にして初めて取り組んだバッハですが、奇をてらったところは全くなく、まさにモダン楽器でのスタンダード、落ち着いた悠然とした演奏です。ライブ録音盤のせいなのか、音がかなり遠くに聞こえるのがちょっと残念です。(青年文化センター大ホールの一番後ろで聴いているみたいな感じです。)これはこれでいい演奏ですが、リヒターと同じモダン楽器での同じような方向性の演奏ですので、リヒターと違った魅力やリヒターを超える魅力は見出せません。
 私としては、リヒターとは別の方向性の演奏(古楽器を使った演奏)での決定版が欲しいところです。


ロ短調ミサ曲B                                      2005. 5.28
 私が気に入っているリヒター盤とは違うアプローチのロ短調ミサ曲のお薦めCDはないだろうかと書いたところ、さっそくでつさんと i-papa さんが候補を挙げてくださいました。
 でつさんは、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団の1985年録音盤を、i-papa さんは、同じリヒターですが1969年の東京文化会館ライブ録音盤と、ヘルムート・リリング指揮、バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト、ゲヒンゲン聖歌隊の1999年録音盤をお薦めするとのこと。聴いてみたいので貸してくださいとお願いしたところ、お二人ともすぐに持ってきてくださったので、いま私の手元にはその3種類のCDがあるのです。
 まずはリヒターのライブ盤を聴いてみました。スタジオ録音盤と比べると、テンポはだいたいの曲で若干速めのようです。演奏のスタイルもずいぶんロマンティックで、アーティキュレーションもスタジオ録音盤とはかなり違っています。それが、8年間でのリヒターの変化なのか、ライブということからなのか分かりませんが、ずいぶん違った印象を受けました。しかし、ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団の音には違いを感じませんでした。ライブ盤ということもあり、音のバランスが悪かったり、ミスがところどころに見えたりするのですが、とにかく気合の入った演奏で、特に合唱団は精一杯歌っていることがひしひしと伝わってきて、生で聴いたらさぞかし白熱した演奏会だったのだろうと思います。
 次にガーディナーのものですが、実はこの演奏はずっと以前に聴いたことがありました。CD発売されてすぐに買って聴いてみたのです。その時はリヒター盤とのあまりにも大きな違いに耳がついていかず、受け入れられませんでした。古楽器の響きもチャカチャカした感じで好きになれませんでした。けっきょくCDはすぐに手放しました。私が古楽器を使った演奏にいいイメージを持っていないのはこのガーディナー盤の第一印象が悪かったからではないかと思います。でも、でつさんが薦めるのだから何かあるかもしれないと思って久しぶりに聴いてみると、あれ、そんなに悪くないじゃないかと感じました。発売されてから20年近く経っていますので、そのあいだに私の耳の許容範囲も広くなったのだと思います。
 リリングのものはまだ、Kyrie しか聴いていませんが、モダン楽器を使った演奏ですが、アーティキュレーションなどはかなり古楽器を使った演奏に近いように感じました。以前に聴いたリリングの演奏よりずいぶん洗練された印象を受けました。
 どのCDもまだじっくりと聴いたわけではありませんが、特にガーディナーのものとリリングのものを聴いて、古楽器を使った演奏とモダン楽器を使った演奏と区別することはもうあまり意味がないことだと感じました。そして同時に、ちょっと前まで半ばあきらめていたリヒターとは違うアプローチのロ短調ミサ曲の名盤も、何だか見つかりそうな気がしてきました。私の耳が以前とは違うということに気付いたからです。

ロ短調ミサ曲C                                      2005. 6. 4
 ヘルムート・リリングの1999年録音盤を全部聴きました。私の中ではリヒターの1961年盤に次いで第2位にランクインしました。
 長いこと合唱団で歌っているので、CDを選ぶ基準がどうしても合唱中心になってしまいます。さすがにロ短調ミサ曲のCDにそういうものはあまりありませんが、モーツァルトのレクイエムなどでは、合唱がオーケストラの陰に隠れてしまっているような録音があります。そういうCDは、演奏の良し悪しの前に聴く気が失せてしまいます。ジュリーニ指揮、バイエルン放送交響楽団・合唱団のものは、合唱がオケに隠れるということはないものの、ベートーヴェンの第九のように「オーケストラに合唱が加わった
曲」に聞こえるのです。だから、演奏はすばらしいとは思うのですが、私の中では上位に入ってきません。
 古楽器を使った演奏では、オーケストラの編成も小さいので、合唱が聞こえないということはありません。しかし、私としてはやはり合唱に不満があります。まず、歌い方ですが、どうしてあのように力を抜いたような声だけで歌っている演奏が多いのでしょうか。もちろんそういう歌い方が適した部分もありますが、逆に声を張ってバリッとした歌い方をすべき部分もあるはずです。声楽的に無理のない、守備範囲内の声だけで歌った端正な演奏だと、私はつまらないと感じます。
 それから合唱団の規模ですが、私はかなり人数がいたほうがいいと思います。具体的に何人とはいえませんが、1パート2〜3人という演奏はどうかと思います。時代考証を大事にする演奏では、当時の教会の聖歌隊の人数をもとにして合唱の人数を決めているようです。しかし、それはバッハが置かれていた状況を再現することにはなるかもしれませんが、バッハが理想として思い描いていたロ短調ミサ曲を実現するために最適な規模になるとは思えません。ベートーヴェンの第九は、初演のとき合唱の人数が30人台だったということですが、いま30人くらいの合唱で第九を演奏することはないでしょう。それと同じだと思います。
 リリングの演奏は、私が不満に思っていたさまざまなことをクリアした演奏です。ゲヒンゲン聖歌隊、いいですね。声を張るところではしっかり張るし、抜くところは抜くメリハリのある歌い方だし、血の通った人間的な歌声で私は好きです。
 演奏全体としては、オーケストラも合唱もアーティキュレーションがかなりきつく、それがまだ定着していない実験的なものに聞こえるのが気になるのですが、それを差し引いても、最近のCDの中では最高に気に入った1枚です。私の中でリリングがポスト・リヒターの筆頭になりました。
 リリングは今まで、77年、88年、99年と11年ごとにロ短調ミサ曲を録音しているので、このサイクルで行くと2010年、リリング77歳のときにまたロ短調ミサ曲を録音することになります。私にとって、リヒターの旧盤に勝るとも劣らないロ短調ミサ曲の名盤が誕生するのではないかと、今から期待しています。

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