ロ短調ミサ曲のCDで一番気に入っているのは、カール・リヒターが指揮した1961年録音のものです。もう40年以上前の録音ということになるのですが、いまだにこれより魅力を感じる演奏に巡り合っていません。
1980年代以降、古楽器(オリジナル楽器、ピリオド楽器とも言うそうです)を使い、時代考証を重んじた演奏が次第に一般的となり、今やCDではリヒターのようなモダン楽器を使った演奏は逆にめずらしくなりました。まるで、古楽器を使い、合唱も当時の教会の合唱隊に合わせて少ない人数にするのがバッハ演奏のお約束であり、それ以外のものはもう時代遅れといった風潮です。リヒターの演奏などはとっくに過去のものと言われそうです。でも、本当にそうなのでしょうか。
私は、リヒターの演奏の Kyrie の第一声にまず心を打たれます。私には Kyrie のテーマ(第1Kyrie 、第2Kyrie のどちらも)が、さまざまな悩みや苦しみを抱えて悶々としている音、あるいは出口の見えない悩みの迷宮をさまよい歩いている音のように聞こえます。だから、Kyrie
の第一声は、悩みを抱え苦しんでどうしていいのか分からない者が、神に向かって助けを求める叫びだと思えて仕方がないのです。リヒターの演奏では、Kyrie
の第一声は、まさにあのたった4小節に全身全霊を懸けたような響きがします。それに続くテーマも非常にゆっくりしたテンポで、噛み締めるように歌われています。
自分の力ではどうしようもない、もう神にすがるよりほかない、それが Kyrie (「憐みたまえ」などという他人事みたいな和訳では生温いくらい)だと思うのです。そして、そういうぎりぎりの切羽詰まった重い
Kyrie があってこそ、それに続く Gloria 以降の曲がより深い意味を持ってくるのだと思います。
ところが、私は最近の演奏でそういう Kyrie にお目にかかったことがありません。古楽器による演奏ではだいたいにおいて、第一声は美しく透明な響きで端正に歌われ、それに続くテーマは、テンポが速く、アーティキュレーションも軽やかで、とても悩みや苦しみを抱えているようには聞こえないのです。これはバッハの時代の演奏を再現していることには違いないのでしょうが、はたしてバッハが求めていた音楽を表現していることになるのでしょうか。
私はリヒターの演奏が絶対だとは思っていません。実際、Kyrie 以外では、私も「もう少し軽やかな方がいいのではないか」と感じる曲がいくつかあります。また、リヒターは旧バッハ全集の楽譜で演奏しているので、新バッハ全集との違いが気になるところもあります。
だから私は、新しい演奏でリヒターと同じように(あるいはそれ以上に)私を納得させるものはないだろうかと探し求めているのです。
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