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学芸会 @ 2005. 11. 5 |
市内の小学校は、いま学芸会の時期です。仙台市で二学期制 が導入されたことで、学芸会の時期も それまでの10月半ばから少し遅くなり、11月に行う学校が多くなりました。今週末か、あるいは来週末が学芸会という小学校が多いと思います。
私は、この職業に就いてから初めて学芸会というものを経験しました。子どもの頃、私が通っていた小学校には学芸会がありませんでした。学芸会に相当する秋の行事といえば、文化祭という名称で、作品展と芸術鑑賞会とバザーを合わせたようなものがありました。各教室では図画・工作や習字の作品展示、体育館では劇や音楽の鑑賞会(児童は必ず見ることになっている)、特別教室や中庭ではPTA
のバザーや模擬店が行われていました。それはそれで楽しい行事ではありましたが、自分で音楽や劇をするような行事ではありませんでした。だから教員として小学校に勤めるまで、学芸会をしたことも見たこともなかったのです。
学芸会を経験してみて、私は「学芸会っていいものだな」と思いました。それは、学芸会は子どもたちの一生の思い出になるということが分かったからです。運動会と学芸会は小学校の二大行事ですが、運動会と同じように、あるいは運動会以上に時間と労力をかけて練り上げた劇や音楽の発表の場ですから、学芸会が子どもの心に残らないはずがありません。実際、職場の同僚に子どもの頃の学芸会の思い出を聞いてみたら、みんながみんな劇の役やそのときの台詞をよく覚えているのです。もう何十年も前のことなのに、ずいぶん細かいところまで覚えていて、実に楽しそうに話してくれました。
子どもの頃にそういう学芸会の思い出のない私は、そんな同僚たちの話を聞いてうらやましく思いました。運動会や遠足のほかに、もう一つ大きな思い出をもっているからです。みんなで何かを作り上げるという経験、一つことに向かってみんなでがんばった思い出を持っているなんて、本当にうらやましい限りです。
さて、一口に学芸会といっていますが、内容は大きく 演劇的なものと音楽的なものに分かれます。私は、なかでも演劇の経験は、特に貴重なものだと思います。音楽の発表ならば、中学校や高校でも校内合唱コンクールなどをやっていますし、小学校でなくても経験する機会は少なくないと思います。しかし、演劇はそうではありません。特に演劇に強い興味や関心を持っている人でなければ、学芸会以外で演劇の舞台に立つなんてことはまずないでしょう。小学校を卒業したら、もう二度と演劇をやることなどない人がほとんどなのです。
普段の自分とはまったく別の劇中の役になりきって舞台で演じる・・・そんな一生のうちで何度も経験できないようなことができるのです。やっぱり、学芸会は小学校になくてはならない行事だと思います。 |
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学芸会 A 2005.11.13 |
小学校に勤め、自分が学芸会の指導をするようになって、いままでずいぶんたくさんの学芸会を見てきました。自分の勤務校だけでなく、学芸会の時期になるといろいろな小学校の学芸会を見に行きました。
日曜参観が行われていた頃は、近くの小学校に保護者に混じってよく授業参観に行っていました。教師がプロとしての技術向上のために行う研究授業と違って、参観日では肩肘張らない普通の授業が見られるからです。(もちろん参観日の授業も、すっかり普段どおりの授業というわけではなく、それなりに見せる授業になっているのですが、研究授業よりはずっと日常の授業に近いのです。)学校が週五日制になって日曜参観はなくなりましたが、学芸会は相変わらず休日に行う学校がほとんどですから、自分の勤務校と同じ日でなければ、ほかの小学校の学芸会を見ることが出来るわけです。
ほかの学校の学芸会を見るとき、注目するのはやはり劇です。何か使える台本はないか?それが一番の関心事です。
劇の場合、台本選びで八割方その成否が決まってしまいます。ところが、市販の学校用の台本で条件に合うものなどほとんどありません。だいたいにおいて市販の台本は出演する人数が少なく、学年全員を出演させなければならない学芸会にはそのままの形では使えません。だから、どの学校の学芸会でも、市販の台本を書き直して、役や台詞を増やしたり、一つの役を何人もで演じたり(ダブルキャストは当たり前、多いときは一つの役を5人くらいで演じることもあります)、踊りを加えたり、語り手を登場させたりして出演する子どもの人数を増やす工夫を凝らします。そういった学芸会用(?)台本で使えそうなものはないか見るわけです。
もしこれは使えそうだというものがあった場合は、知り合いの先生(どの学校にも誰か知り合いはいるものだし、伝はあるものです)を通じて台本を手に入れることが出来ます。
台本を入手する必要のない劇(一度やったことのある劇、見たことのある劇)でも、舞台装置や演出が学校ごとに違うので、新しい発見があったりします。自分が思いつかなかったような演出を見つけると「これは得をした」という気分になります。また、あまりいい出来ではない時は「自分たちがやったときの方が上手だったな」と自己満足に浸ることもできます。 同じ年に同じ演目をいくつかの学校でやることもあり、見比べるのも楽しいものです。(でも、いろいろな小学校の学芸会を見て歩くなんて、私以外にやっている人はあまりいないでしょうね。) |
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学芸会 B 2005.11.19 |
一般の演劇や音楽を酷評するとき「学芸会的な・・・」とか「学芸会レベルの・・・」とかいう表現をすることがありますが、自分で学芸会を経験してみて初めてそのような表現が実感として理解できました。同業者として現場の先生方の悪口は言いたくないのですが、確かに学芸会には見ていてこちらが恥かしくなるようなレベルの発表があることも確かです。そのような発表をした学年の子どもたちが、特に力のない子どもたちだったとは考えられませんし、その学年だけ特に練習時間が少なかったとも考えられませんから、すべては指導する側の勉強不足・指導力不足ということになります。
先生方は教科を教えることについてはプロですが、学芸会(特に演劇)を指導することについては素人です。学校現場で演劇に関わったことがある経験者はごく少数です。ほとんどの先生が自分の小学校時代の学芸会の経験をもとにしたり、先輩教諭が学芸会を指導するのを見よう見まねで覚えたりした程度です。学芸会で劇に取り組む学年の担任全員が演劇の素人ということも特にめずらしいことではありません。
私は演劇の経験者ではありませんが、学生時代から仙台オペラ協会の公演に合唱団として出演してきたので、プロの演出家や舞台監督・スタッフの仕事ぶりをつぶさに見る機会に恵まれていました。私の目から見ると、学芸会の劇には変だなあとか、不思議だなあとか、もっとこうすればいいのになあとか思うことがたくさんあります。
まず学芸会の劇で一番変だなあと思うのは、台詞を言うときの身振り手振りです。なぜ学芸会の劇では「ぼくが」と言うときに自分を指差したり、「大きな」と言うときに両腕をラジオ体操の深呼吸みたいに振り回したりするのでしょうか。日常の会話でそんなことはありえないし、一般の演劇でもそんなことはしないでしょう。でも、学芸会の劇ではそれが当たり前のように行われています。また台詞を言う子どもたちが横一列に並んでいて、台詞を言うとき一歩前へ出て言って、言い終わると一歩下がるというのも学芸会の劇だけに見られる変な動きです。
教師になりたての頃、そのことについて学年主任に「なぜそんな変な演出をするのですか?」と聞いたことがあります。するとその答えは「一歩前へ出たり、身振り手振りをしたりしないと、誰が台詞を言っているか分かりにくいから」でした。ある意味でとても理解しやすい答えだったので納得しました。(学芸会にわが子を見に来る親にとって、自分の子が台詞を言っているシャッターチャンスを逃がさないことが一番の関心事ですから)
それ以来、自分で劇の指導をするときには自信を持って、子どもたちにそのような身振り手振りをしないように指導しています。 |
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学芸会 C 2005.11.26 |
学芸会の劇の台本は、たくさんあると思われるでしょうが、実は市内の小学校現場でよく上演されるものはそれほど多くありません。市販の台本集などには確かにたくさんの台本が載っています。けれども、そのうち実際に学芸会で使えるものはごくわずかなのです。(使えるといってもそのままの形ではなく、学校の実情に合わせてかなり手を入れて書き直します。)
そんな中で、長い時間に淘汰されて、定番化している台本がいくつかあります。毎年市内のどこかの小学校で必ず上演されていて、廃れない台本です。(市内の小学校の学芸会を全部調べたわけではありません。あくまでも私の聞いた範囲、情報の集まる範囲での話です。)
低・中・高学年にそれぞれに定番的な台本がありますが、低学年では「おむすびころりん」「白じいさんと黒じいさん」「ねこにすずをつけちゃった」などです。「おむすびころりん」は定番中の定番で、今年も近隣の3校が取り組んでいました。
私は「おむすびころりん」と「ねこにすずをつけちゃった」に取り組んだことがありますが、私としては「ねこにすずをつけちゃった」はなかなかいい台本だと思います。みなさんよくご存知の、ネズミたちがネコの首に鈴をつける話ですが、誰か一人が主人公ではなく、主人公はたくさんの弱いネズミたちで、それが全員で知恵を絞り、力をあわせてネコに立ち向かうという台本だからです。
中学年の定番は、「ハーメルンの笛吹き」「ほんとうの宝ものは」「どんぐりと山猫」などです。
私としては「ほんとうの宝ものは」が学芸会の台本としては最高だと思っています。これを越える台本は今のところ見つかっていません。世界の国々がそれぞれ自分の国の宝を持ち寄ってコンクールをするという単純なストーリーですが、根底には人間にとって大切なものは何かという深い問いかけがあり、楽しいけれど面白おかしいだけではないしっかりとした台本です。しかも場面ごとに区切りやすく、練習を進める上でとてもやりやすい台本で、その点でも学芸会にうってつけです。
高学年の定番は、「石の狼」「山椒太夫(安寿と厨子王)」「西遊記」あたりでしょうか。中でも「西遊記」(「西遊記」自体は長いお話なのですが、学芸会で取り上げられる台本は一種類です。)は、ほんとうによく上演されます。ただ、私は自分が高学年の担任になってもこれをやりたいとは思いません。勧善懲悪の活劇で、底が浅い台本だからです。
私としては「石の狼」が好きです。「石の狼」は狼の群れに助けられた巡礼の娘が、村人を襲う狼たちを止めようとして、村人の一人が撃った銃弾に倒れてしまうという悲劇です。高学年とはいえ小学生にはちょっと重い内容かもしれませんが、学芸会の劇は大きな学校行事として取り組み、長い時間をかけて作り上げて行くわけですから、どうせならしっかりとした中身のあるものに取り組みたいと思っています。 |
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学芸会 D 2005.12. 3 |
学芸会の劇には劇中歌が不可欠と言ってもいいくらいなのに、市販の台本集などでは、劇中歌が とても軽んじられてるように感じます。ちょっと前の台本集だと、ト書きに「みんなで歌いながら歩いていく」とあるのに歌が書いてなかったり、歌詞だけ書いてあって楽譜がついていなかったりすることがよくありました。さすがにこのごろの台本集には劇中歌が楽譜付きで載っていることが多いようです。ところがその劇中歌にも首を傾げたくなるものが少なくありません。台本の執筆者や、台本集の編集者にとって大切なのは台本であって、劇中歌はおまけのようなものかもしれません。そのせいでしょうか、台本についてくる劇中歌も(台本と同じように)そのままの形で使えるものは少ないのです。ひどいものはメロディーと伴奏の和音がずれていたり、譜面どおりではとても歌い切れない言葉付けがされていたりします。また、記譜上は間違いがないものの、音楽として魅力のない歌だったりします。私は、劇中歌はいまだに軽んじられているという印象を拭い去ることができません。
私が初めて高学年(5年生)を担任して学芸会で取り組んだ劇が「石の狼」でした。劇中歌は、この劇全体のテーマソングともいえる「狼の合唱」という曲と、主人公の母子が登場する場面で使われる「母の嘆き」の2曲でした。私は音楽担当でしたが、台本に付いていた音楽的に魅力のない曲をそのまま使うのがどうしてもいやでした。
学生時代に音楽理論(機能和声法)を学んでいたので、それまでにも合唱曲の編曲はやったことがありましたし、小学校に就職してからも、音楽の授業や学芸会のために器楽合奏を何曲か編曲したことがありました。だから最初は、台本に付いてきた曲のカッコ悪いピアノ伴奏(低い音域に密集した形で和音が使われている伴奏だったので、重苦しくて冴えない音がしていました。)をアレンジしてカッコ良くしようと考えました。ところが、いくら伴奏を変えても、メロディーがそのままでは変わり映えしないことが分かりました。そこで、思い切って全部新しく作ることにしたのです。
「狼の合唱」は、野田暉行の混声合唱曲「青春」の第4曲「黒いペガサス」をイメージしてメロディーを書き、それに和音を付け、ピアノ伴奏を作りました。「母の嘆き」は、テレビアニメ「タイガーマスク」のエンディング曲「みなし児のバラード」をイメージして同じように作りました。
新しい曲を作ったわけですから、作曲したということになるのでしょうが、2曲ともお手本になる曲があって、その雰囲気をまねしてメロディーを作り、それに和音を付ける形で伴奏を作っただけですから、作曲と言うのは何かおこがましいような気がします。
でもビギナーズラックでしょうか、なかなかいい曲に仕上がり、5年生の子どもたちは喜んで歌ってくれましたし、学芸会でも完成度の高い劇が上演できました。このときの「狼の合唱」と「母の嘆き」の2曲が私の劇中歌の処女作です。
このあと、学芸会の劇中歌をときどき自分で作るようになりました。最初のうちはイメージが似ている曲をお手本にしていましたが、だんだんにお手本になる曲がなくてもメロディーが書けるようになりました。今までに手がけた劇中歌は20曲ほどになりました。 |
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