もの思いの放課後

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夏休み                                           2006. 7.22
 ここのところ雨模様で肌寒く、7月とは思えないような天気が続いていますが、市内の小・中学校は昨日(21日)から夏休みに入っています。梅雨明けもしておらず、夏休みという実感はまだありませんが、今回は私の好きな二つの「夏休み」の歌について書こうと思います。

  遊園地  ローラースケート  二人で行くはずだったのに
  フォークコンサート  同伴喫茶  二人で行くはずだったのに
  バイトして  お金をためて   二人で遊ぶはずだったのに
  そんな夢  見られただけで  幸せだったのかしら 

 これは岩手出身のフォークグループ N.S.P(ニュー・サディスティック・ピンク)のファースト・ライブに収められた「ぼくの夏休み」という曲です。初めて聴いたのは中学1年のときでした。中学生なのでまだバイトはできなかったし、同伴喫茶(いまや死語!)もどんなものか分かりませんでした。でも、彼女といっしょに過ごす夏休みのためにバイトに励む歌の中の男の子には共感できたし、その夢が消えてしまった(夏休みを前に振られてしまったのでしょうか?それとも彼女そのものが夢だったのでしょうか?)喪失感、空しさ、切なさが心に沁みて好きでした。

  麦わら帽子はもう消えた  田んぼの蛙はもう消えた  それでも待ってる  夏休み
  
 こちらは有名な吉田拓郎の「夏休み」です。 N.S.P の方は、現役の高校生か大学生の夏休みですが、拓郎の方は、大人が子ども時代の夏休みを思い出して歌うといった趣きです。N.S.P のように直接的に悲しい出来事が描かれているわけではありませんが、歌詞全体から、子どものころの夏休みを懐かしみながらも、大人になって子どものころ持っていた何かとても大切なものを失ってしまったという喪失感が漂っているように感じられます。それは(夏休みの歌ではないのですが)井上陽水の「少年時代」にも共通するものだと思います。

 夏休みは待ち遠しく、楽しいもののはずなのに、夏休みを歌った歌はなぜか切ないものが多いように感じるのは私だけでしょうか。まあ、「楽しかった夏休み」といった絵日記的な内容では歌になりにくいのかもしれませんね。


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