もの思いの放課後

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ウィンター・スポーツ @                                  2006. 1.28

 1.山は白銀 朝日を浴びて すべるスキーの 風きるはやさ
   飛ぶは粉雪か 舞い立つ霧か おおお この身も かけるよかける

 2.真一文字に 身をおどらせて さっととび越す ひちょうの翼
   ぐんとせまるは 麓か谷か おおお 楽しや 手練の飛躍

 みなさんよくご存知の文部省唱歌「スキー」(時雨音羽作詞 平井康三郎作曲)です。私が小学生だったとき、音楽の時間に習った記憶があるのですが、現在は共通教材から外れたので、教科書には載っていないようです。
 習ったときメロディーはとても気に入ったのですが、歌詞についてはチンプンカンプンで全く実感がわきませんでした。古めかしい文語調ということもありますが、子どものころスキーをしたことがなかったというのも大きな理由だと思います。
 私が子どものころ、私の郷里の岩手ではスキーやスケートなどのウィンター・スポーツは一般的ではありませんでした。北国なのに意外に思われるかもしれませんが、スキー場はあまりありませんでした(安比高原スキー場は子どものころなかった)し、スケート場も県庁所在地の盛岡以外にはなかったのではないかと思います。私のところから一番近いスキー場が花巻でした。その花巻でさえ列車で1時間半以上かかったし、スキー場へはさらにバスなどに乗り継いで行かなければなりません。自家用車のない家庭では日帰りでスキーに行くことなど考えられなかったため、スキーを楽しむことができる家庭は限られていました。子どものころの感覚では、スキーは自家用車を持っていて、高いスキー用品を買い揃えられるお金持ちのスポーツで、私たち庶民には縁遠いものでした。
 私が初めてスキーをしたのは小学校に勤めてからです。5年生の担任になって子どもたちをスキー教室に連れて行かなければならないので、その前に同僚といっしょに山形蔵王に行って泊りがけで特訓してもらいました。この職業に就いたおかげでスキーを覚えたようなものです。(それにしても、小学校でスキーを教えてもらえるなんて、私が子どもの時代に比べて、今の小学生は恵まれていますね。)
 泊りがけでスキーをしてみて、初めて朝日を浴びた白銀の山も見ることができたし、スキーのスピード感も味わうことができました。でも、腕前はいつまでたってもボーゲン以上パラレル未満なので、2番の歌詞の「手練の飛躍」の感覚はまだ味わっていません。 


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ウインター・スポーツ A                                  2006. 2. 4
 岩手で生まれ育った私は、冬が嫌いでした。岩手の冬は寒さが厳しく、県南でも真冬の最低気温は普段で−5〜6℃、低いときは−10℃くらいに下がります。日本海側ほど積雪は多くありませんが、それでも私が子どものころは一晩で30cmくらい降ることも珍しくありませんでした。降った雪は解けずに根雪となり、除雪されないところは3月末ころまで雪に覆われたままです。
 私は夏(7月)生まれのためか寒さに弱く、冬になると霜焼けにはなるし、しょっちゅう風邪をひいて体調はすぐれないし、とにかく雪と氷に閉ざされ寒さに縮こまるしかない冬が大嫌いでした。
 大学生になって仙台で暮らすようになっても(仙台の冬は郷里に比べるとずっと過ごしやすいのですが)やはり冬が嫌いでした。また、大学生になっても、スキーはお金持ちのスポーツで庶民がするものではないという感覚をずっと引きずっていたので、学生時代にスキーをやろうという気にはなりませんでした。
 
 小学校に勤めて初めて高学年を受け持ち、子どもたちをスキー教室に連れて行くことになった年の秋口のことです。職員室で、「スキーをやったことがないので、スキー教室は気が重い。もともと冬が嫌いなのに、今年はさらに憂鬱だ」というようなことをこぼしました。すると、それを聞いていた教務主任のT先生が言いました。
「それは、スキーを覚えた方がいいよ。スキーをやると楽しいよ。俺なんか早く冬にならないかなあと待ち遠しいもの。長い人生、これから何回もやって来る冬を、嫌だ嫌だと思って過ごすのと、早く冬にならないかと楽しみにして過ごすのとどっちがいい?絶対スキーを覚えた方がいいよ。それで人生が全然変わるよ。」
 T先生は、夏は素潜りで魚を突くのが楽しみ、冬はスキーが楽しみというシーズンスポーツを満喫している方でした。そんなT先生が言う言葉には説得力がありました。
 その冬、私は同僚のみんなといっしょに泊りがけのスキーに行きました。2泊3日で特訓してもらって、一通り滑れるようになりました。2日目の朝はとてもいい天気になりました。真青な空と朝日に輝く雪、本当に絵のような景色で、スキーの歌の世界(山は白銀 朝日を浴びて〜)を実感することができました。

 T先生の言ったことは本当でした。それ以来、私は以前ほど冬が嫌いではなくなりました。「冬が好き」と言い切れるほどではありませんが、「スキーができるんだから、冬もまんざら捨てたものではないなあ」というぐらいになりました。

ウインター・スポーツ B                                  2006. 2.11
 初めて2泊3日でスキーに行ったときのことです。そのとき勤務していた学校では、毎年冬休みに、スキー好きな先生方が数人で山形蔵王に泊りがけ(蔵王温泉に定宿もありました)で滑りに行っていました。教務主任にぜひスキーを覚えた方がいいと勧められて、私もいっしょに行くことにしたのです。

 初日、お昼過ぎに定宿のホテルに到着し、まず一滑りしようということになりました。私以外はみんなかなり滑れる人たちなので、思い思いリフトやロープウエイに乗って滑りに行きました。高校の先輩に当たるC先生が初心者の私に指導するために残ってくれました。
 私の記念すべき初滑りは上の台ゲレンデでした。C先生は、スキーの履き方、ストックの持ち方など本当に一からていねいに教えてくれました。歩き方、ボーゲンでの斜滑降、止まり方まではすんなりとできるようになりました。ところが、曲がれません。C先生は「外側の脚で踏ん張って」とか「外側の膝を内側に入れて」とか「カーブしようとする方向を向いて」とかいろいろ言ってくれるのですが、どうしても思った方向に思ったように曲がれないのです。
 私はバイクや自転車など二輪車のカーブのイメージから、無意識のうちに身体がカーブの内側に傾き、内側の脚に体重が乗っていたようです。だからいくら外側の足で踏ん張ると言われてもうまく曲がれなかったのです。カーブしようとする反対側(外側)の脚に体重が掛からないとうまく曲がれないということを体得して、思った方向にカーブできるようになったのは、そろそろナイターが始まるというころでした。
 C先生の特訓のおかげで、基本的な滑りができるようになったということで、二日目は最初からロープウエイで山の上まで連れて行かれました。樹氷原コースは朝日に映えてとても美しかったのですが、スキーを始めて二日めの私にとってはとんでもない急斜面に見えました。みんな何の苦もなく平気ですいすい滑って行ってしまう後から、とにかく必死について行きました。途中何度も転びながら、やっとの思いで麓まで辿りつきました。どのコースをどんなふうに滑って下まで来たのかさえもよく分かりませんでした。
 夜、ホテルに帰ってからみんなに「スキー二日目であれだけ滑れれば立派!」と褒められましたが、私は内心「上まで連れて行かれたら、滑って下りなきゃ帰って来れないじゃないか!」と思っていました。
 三日目は、それぞれ好きなコースを滑るということになりました。私はダイヤモンドバレーで滑るグループに入って、比較的なだらかで人も少ないこのコースをとにかく何本も滑ってスキーに慣れることを目指しました。
 この三日間でスキーの基本的なことができるようになり、また下手くそでも蔵王を山頂から麓まで滑って下りられたことで自信がつきました。おかげでこのあと1月末に行われた5年生のスキー教室での指導もうまくやることができました。

 今思い返してみても、あのとき思い切ってスキーに行って本当によかったと思います。食わず嫌いせず、何でもやってみることが大事だとつくづく思いました。


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