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音楽の共通性と地域性@ 2006. 5. 13 |
「音楽に国境はない」という言葉があります。また「音楽は世界共通の言語だ」という言葉も聞きます。前者は確かにそうだろうと、私も素直に受け入れることができますが、後者については疑問符が付きます。少なくとも私は好きな言葉ではありません。いったい世界共通の音楽とはどんな音楽のことなのでしょうか。(それはたぶん「音楽は世界共通の言語だ」と言った人たちが関わっている音楽のことなのでしょうが、自分たちの音楽が世界のスタンダードだと考えているような高慢さが鼻について嫌いです。)
国境は人間が自分たちの都合で勝手に決めたものですから、音楽がそれに縛られることがないのはごく当たり前のことです。でも、言語はそうではありません。言語は人類の種の始まりのころからの遥かな時の流れの中で、その土地の風土や、そこに暮らす民族によって育てられてきた文化の象徴です。そのような言語に世界共通などあるはずがないのです。音楽も文化の産物ですから、世界共通の言語が存在しないように、世界共通の音楽も存在しないのです。
分かりやすいたとえで音楽を言語に置き換えてみましょう。英語は現在、世界で一部の地域の言語としてではなく広い地域で使われている言語(簡単に言えば世界の共通語に近い言語のひとつ)です。日本では英語を義務教育で教わることになっています。また、ケニア共和国では、スワヒリ語と並んで英語は通用する言語のひとつです。でも、もし日本の「侘び」や「寂び」の感覚について、一度も日本を訪れたことのないケニアの人に、英語を使って伝えるとしたら、本当に正しく伝わるかどうかははなはだ疑問です。また、もしケニアの人が「侘び」「寂び」の感覚を英語によって正しく理解することは可能だったとしても、その感覚に共感したり、その感覚を楽しんだりすることはさらに難しいでしょう。
音楽に話を戻します。さて、私は日ごろ仙台放送合唱団に所属して、歌を歌っています。ふだん歌う合唱曲のほとんどはいわゆるクラシック音楽という分類に入るものです。この前も定期演奏会でバッハのロ短調ミサ曲を歌ったばかりです。自分ではこの曲についてずいぶん勉強して理解したつもりです。また、本番では合唱団全員が演奏に集中し、かなりいい演奏ができたのではないかと思います。私も全力を尽くすことができたし、歌いながらもいい演奏ができているときに感じる高揚感を味わっていました。自分としても感動的な演奏だったと思います。
ただ、それをごく醒めた目で突き放して見たとき、恐ろしくなるのです。クラシック音楽もある地域のある文化の産物です。日本人の私が、300年以上前に生まれたドイツ人、バッハが書いたラテン語の曲を歌ったのです。もしかすると、ケニアの人が「詫び」「寂び」を英語で感じるよりもっとかけ離れたことをしていたのかもしれません。私が理解したと思ったバッハは、はたしてどのくらいのものだったのでしょうか。ロ短調ミサ曲を歌って共感できたと思ったバッハの世界は、本当にバッハの世界だったのでしょうか。そう考えると、バッハ、モーツァルトなどいままで身近に感じていた作曲家の作品も、演奏することが本当に怖いことのように感じます。 |
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音楽の共通性と地域性A 2006. 5.20 |
音楽の地域性についてあらためて意識したのは、仙台放送合唱団で間宮芳生の「合唱のためのコンポジションT」に取り組み始めてからです。(合唱団としては以前にこの曲を演奏会で歌ったことがあるようですが、私は今回初めて歌います。)
「合唱のためのコンポジションT」の楽譜を見ると、臨時記号や音程のない音符が数多く出てくるし、和音も4度や5度の響き、全音や半音でぶつかる不協和音がほとんどで、明らかに長調や短調などという調性音楽ではないということが分かります。つまり機能和声の枠組みとは違った、別の音の構造によって作曲された合唱曲なのです。(簡単に言えば、見るからにバリバリの現代音楽です。)
ところが、歌うとしっくりくるのです。妙に懐かしいというか、メロディーやハーモニーの一つ一つが、その音は前からそこにあることに決まっていたような響きがするのです。そのような感覚を覚えるのは、この曲の音の構造によるものだと考えられます。
作曲者・間宮芳生は日本の民俗音楽を深く研究し、その研究成果に基づいて、日本の民謡の音の構造を使ってこの曲を作りました。つまり、この「合唱のためのコンポジションT」は日本の民謡のエッセンスでできているのです。(といっても民謡をつなぎ合わせたものでも、民謡をアレンジしたものでもありません。念のため)
アルトのSさんが、資料としてこの曲のレコードに付いていた解説書のダイジェストを作ってくれましたが、それによると、第2楽章では青森県八戸市の「代掻唄」、第3楽章では福島県石城郡の「子守唄」、第4楽章では秋田県鹿角郡の「大日堂祭頭行事」の音素材が使われているということです。でも、私は解説書に挙げられたどの場所にも行ったことがありませんし、もちろんその「代掻唄」や「子守唄」などを聞いたこともありません。ですから、この曲に含まれている個々のメロディーを知っていたから懐かしく思ったり、しっくり感じたりしたのではないのです。この曲を構成するモチーフ一つ一つがすべて既知のものであるような感覚、それは、私という一個人の記憶ではなくて、私の身体の中に流れる民族の血が、あるいは遥か遠い祖先から受け継いできたDNA
の中に組み込まれている記憶がそう感じさせるといった感覚です。(この感覚は言葉ではうまく表せません。)
もし、この「合唱のためのコンポジションT」を外国のどんな上手な合唱団が演奏したとしても、私たちが感じるのと同じ感覚を楽譜から感じ取って演奏することは絶対に不可能だと思います。また、たとえその合唱団を日本人が指揮・指導したとしても、その感覚を合唱団員に伝えて演奏に生かすのは非常に難しいことだと思います。しかし、間宮芳生の書いた音符をいくら正しい立派な音にしても、楽譜の底に流れているそういった感覚(あるいは情念といったもの)を省みないのなら演奏する意味はないでしょう。
立場を変えて考えてみると、私は今までたくさんの外国(おもにヨーロッパ)の曲を歌ってきましたが、それらの曲の地域性についてあまりにも無関心だったと反省させられます。
「合唱のためのコンポジションT」に取り組んだことで、自分の日本人としての血、日本に生まれ育ったものとしての音楽的地域性を強く意識すると同時に、日本人の私が外国の曲を演奏する意味について、いま自分自身に問い直しています。 |
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音楽の共通性と地域性B 2006. 5.27 |
これまで音楽の地域性のことだけ書いてきましたが、今回は音楽の共通性について書きたいと思います。
このエッセイの初回、言語に例えて音楽の地域性について述べました。しかし、私は、確かに音楽には地域性があるものの、言語よりは共通性が強いのではないかと思っています。それは、音楽が言語よりもずっと抽象的であり、感覚的であるからです。
例えば、言語で「ア」と「イ」の母音を続けて発音すると、日本語では「愛」や「藍」などの言葉になり、英語では自分自身を指す一人称になるというふうに明確な意味を持ちます。ところが、音楽では「ド」と「レ」(べつに「ミ」と「ファ」でも、「ソ」と「シ♭」でも、ほかのどの音でも同じこと)を続けて奏でても、重ねて奏でても、その音自体には何の意味もありません。また、英語で「アイ・ラヴ・ユー」と言えば明確な意思表示になりますが、音楽の場合だと、どんな音程をどのように組み合わせても、あるいは、どんな楽器のどんな音色を組み合わせてもそのような明確な意思を表現することはできません。
音楽は言語ほど明確な意思や感情を表現することができないのです。つまり音楽では、作曲者が何を感じてその曲を作ったのか、その曲で何を語ろうとしたのかが(たとえ作曲者と聴く人が同じ時代の同じ地域・社会に属していたとしても)、聴く人にどのように伝わるか非常に曖昧だということです。しかし逆に、音楽は抽象的であるがゆえに、どんなに時間や距離を隔てても、作曲者の感じたことやその曲に込めた思いが伝わる可能性もあるということです。
では、いったい人間は何を感じて音楽を作ってきたのでしょうか。また、人間が音楽に込めたかった思いとはどんなものなのでしょうか。
「心より出ず、また心に至らんことを!」と言ったのは確かベートーヴェンだったと思いますが、太古の昔から人間の感情のほとばしりが音楽の源だったのではないでしょうか。喜び、悲しみ、憂い、楽しさ、怒り、畏れ・・・そういった自分の心を誰かに伝えたい、共有したいという思いが音楽を生み出してきたのではないでしょうか。
そのような人間に音楽を作らせる原動力となった思いは、時代や地域、言語、民族などを越えて共通ではないかと思います。例えば、異性を好きになったときめきや切なさ、死や別れの悲しみや苦しさ、人間を越える偉大なもの(自然や神)への畏敬の念などは、人間に音楽を作らせる共通の感情だと考えられるし、労働の歌、子守唄なども共通の感覚で理解し合えるのではないかと思います。
音楽が人間の感情に深く根ざすものであるならば、その抽象性・感覚性ゆえに、言語以上に時間・空間を超越した全人類共通性を持つのではないかと思います。 |
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音楽の共通性と地域性C 2006. 6. 3 |
前回、音楽によって伝えたかった思い、共有したかった感情などは時間・空間を越えて人類共通ではないかということを述べました。また、音楽は感覚的であり、抽象性が高いことから、思いや感情がダイレクトに伝わる可能性があるのではないかということも述べました。
それでもやはり、音楽の地域性は厳然と存在していると考えられます。なぜならば、音楽はあくまでもひとつの表現・パフォーマンスであり、思いが直接相手に伝わるテレパシーのようなものではないからです。
表現であれば、必ず表現の方法が必要になります。音声が言語として意味を成すために文法や語法があるように、音が音楽になるためにはやはり、音楽文法・音楽語法とでも言えばいいのでしょうか、音による表現の共通認識が必要です。そういった共通認識は文化によって育まれます。あるいは、逆に人々の共通認識の集合体が文化なのかもしれませんが、ここでは文化論を語ることが目的ではありませんので、それは置いておくとして、心に留めておかなければならないのは、音楽の源となる思いは人類共通でも、それを伝える語り口は地域・文化によって様々だということです。
さて、私たちが日ごろ慣れ親しんでいる西洋音楽(名前通りもともとは「西洋」という地域の音楽だったわけですが)の共通性はどの程度のものなのでしょうか。(ここで言う西洋音楽とは、1オクターブを12半音に分け、そのうちの7つの音からなる長音階や短音階などの全音階を中心としてメロディーができており、3和音を中心としたハーモニーを用いる音楽、ものすごく荒っぽく言い換えれば、機能和声から派生した音楽、日本で言うクラシック音楽とポピュラーミュージックを合わせた音楽です。)
西洋音楽の全世界への広がり・浸透性を見て、私は、西洋音楽は西洋のみならず、広い範囲に受け入れられる共通性の高い音楽語法ではないかと思いました。こんなに全世界で受け入れられているのだから、きっと思いの伝わりやすい語り口だったのだろうと思ったのです。
先日、ソプラノのしっぽさんとたまたま音楽の共通性と地域性について話す機会がありました。私が、西洋音楽の広がりから見て、共通性が高いと考えられるのではないかというようなことを話すと、しっぽさんは、
「歴史的なヨーロッパの政治的優位性、大航海時代や、それに続く植民地政策によって、権力・覇権とともに西洋音楽が全世界に広がったという側面が大きいのではないかと思う。」
と言っていました。私は、キリスト教の伝播とともに西洋音楽も広まっていったということは考えていましたが、しっぽさんのような歴史的観点、支配者の音楽としての西洋音楽という観点がなかったので、なるほどと思いました。
でも、やはり私は西洋音楽は共通性の高い音楽文法・音楽語法ではないかと思います。いくら強力な覇権によって全世界に広められても、人々の共感を得られなければ、西洋音楽がこれほど全世界的に浸透することはなかったと思うのです。 |
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音楽の共通性と地域性D 2006. 6.10 |
私を含めて今の日本人は、自己矛盾を抱えていると言うか、アイデンティティーがしっかりしていない非常に不自然な音楽世界に生きているように思います。
私たち日本人は、遥か祖先から日本列島という島国で、大陸の国々と比べると他民族との交流が少ない暮らしを続けてきました。有史以来、他民族が大量に流入したり、他民族からの支配を受けたりしたことがない、全世界的にも非常に稀な国ではないかと思います。そんな環境で日本人は独自の文化を育てて来ました。もちろん音楽の分野も例外ではありません。
ところが明治時代、学校制度をつくり音楽教育を始めるとき、日本人はそういった日本の伝統的な音楽を棄て、日本の風土や伝統とは全く関わりのない西洋音楽を取り入れました。日本の伝統的な音楽は、日本人自身の手によって野蛮なもの・価値のないものとして打ち棄てられてしまったのです。
それから約100年経って私が生まれました。小学校入学以来、私は西洋音楽による音楽教育を受けて育ちました。当然のことながら、長調・短調などの西洋音階を習い、ピアノ、ハーモニカ、リコーダーなどの楽器を使って勉強しました。(現在のカリキュラムは違いますが当時は)学校では、三味線や尺八、琴など邦楽器に触れることはありませんでした。また普段の生活でも、テレビやラジオから流れるのはほとんどが西洋音楽です(演歌もほとんど西洋音楽を基盤に出来ています)し、自分の家の周りでも、三味線や尺八、琴などの音が聞こえることはなく、ピアノやギター、トランペットなどの音のほうがずっと身近に感じていました。もちろん、近くの神社のお祭りでお囃子を聞くことはあったし、公民館(今は市民センターと言うようですが)の催しものなどで民謡を聞くこともあったのですが、それは日常的なことではありませんでした。
私のような音楽環境は、私が育った時代の日本では、ごく平均的なものではなかったかと思います。何が平均だ?と言われても答えに困りますが、日本全国、ほとんどの地域のほとんどの人たちにとって、三味線や尺八などの邦楽器よりも、ブラスバンドやオーケストラの楽器、ギター、ベースなどのポピュラーミュージックの楽器のほうがずっと接する機会も多く、一般的だったということです。
そのように日常生活では日本の伝統的な音楽とほとんど関わりがなく、学校教育では西洋音楽だけを学んできた私が、間宮芳生の「コンポジション」を歌うと懐かしいと感じるのです。これはいったいどういうことなのでしょう。
日本人は何百年何千年と受け継がれてきた日本の伝統的な音楽を棄てて、西洋音楽を自分たちの音楽に挿げ替えました。それから100年以上経ちました。今の日本人は全員が義務教育として西洋音楽による音楽教育を受ました。けれども、やはり西洋音楽は日本の伝統的な音楽に取って代わることができなかったのだと思います。それは西洋音楽が、西洋という地域の音楽であり、私たちは東洋の日本という地域に生きてきた民族の子孫だからです。西洋音楽がいくら共通性の高い音楽文法・音楽語法を持っていたとしても、母国語としての日本の伝統的な音楽に代わることはできないのです。
私には今の日本人が「オオカミに育てられた子」のように思えます。人間なのにオオカミに育てられたためにどちらにもなりきれない中途半端な存在。民族の血とは違った世界の音楽で育てられた私たちは、胸を張って「これが自分たちの音楽だ」というものを持っていません。
私自身、これから三味線や尺八などを習って日本の伝統的な音楽の世界に身を投じることは、いまのところ考えていません。しかし、慣れ親しんでいると感じている西洋音楽が、日本民族の私にとって「骨の髄から魂の底から浸りきれる音楽」には最後までならないかもしれないという不安を持ち続けています。 |
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もの思いの帰り道 >>
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音楽の共通性と地域性E 2006. 6.18 |
これまで5回にわたって、いま私が感じている音楽の共通性と地域性の問題について述べてきました。今回はこのシリーズのまとめとして、日本人の私がどうして西洋音楽に取り組んでいるのか、またそのことにどういう意味があるのかについて、自分の考えを述べたいと思います。
とは言ったものの、私は今まで、なぜ自分が西洋音楽に取り組んでいるか、そのことにどんな意味があるか深く考えたことはありませんでした。今あらためて考えてみても、すぐには答えが出てきそうにありません。
順を追って考えてみることにしましょう。まず、現在私たち日本人は西洋音楽をどう捉えているのでしょうか。
明治時代、日本はそれまでの伝統的な日本の音楽を棄て、西洋音楽を取り入れました。以来、日本の伝統的な音楽は片隅に追いやられ、西洋音楽を中心として政治や教育が進められてきました。それは日本の音楽界にとって悲劇だったのかもしれませんし、そういった選択をしてしまった日本人は愚かだったのかもしれません。
しかし、歴史的に見るとそうなのですが、(昭和生まれの日本人である)私個人としては、物心ついたときには西洋音楽に囲まれていましたし、小学校に入ってからずっと音楽の授業では西洋音楽を習ってきましたから、音楽=西洋音楽で、何の違和感も感じませんでした。例えて言うなら、両親は日本人だけれども、外国で生まれ育ち、現地の学校に通ったために日本語より外国語のほうが上手な子供みたいなものです。あるいは、日本人が中国から輸入した漢字を自分たちの文字として使いこなしているのと同じようなもので、現在の日本では、西洋音楽を外来の音楽として違和感を感じる人はほとんどいないでしょう。
では、すっかり日本に定着しているとはいえ、もともとは西洋という地域の音楽である西洋音楽にどうして取り組むのでしょうか。
料理に例えて言えば、日本の伝統的な音楽はお米や味噌汁、西洋音楽は洋食(ここではフランス料理にしておきます)に当たるでしょうか。お米と味噌汁で育った日本人でも、フランス料理のおいしさは分かるし、フランス料理に憧れて料理人を目指す人もいます。その中で、フランス本国でも認められるシェフになった日本人も少なくありません。全く違った食文化に育っても、おいしさ(味の美しさ)は直感的に感じることが出来るし、努力を重ねて別の食文化を体得することも出来るわけです。地域性は決して越えられない壁ではないということです。音楽においても、地域性は厳然と存在しますが、どんな地域のどんな音楽でも、その音楽の美の本質に近づこうと努力を続けていれば、その独特の語り口も自然と馴染んでくるのではないかと思っています。
いよいよ、なぜ私が西洋音楽に取り組んでいるか、どんな意味があるかということになるのですが、ここまで書いてきて一番根本的なことに思い当たりました。・・・
音楽をするのに、理由とか意味とかいった理屈は必要ないということにです。
私が音楽をするのは、それを美しいと感じ、憧れるからであり、その音楽がたまたま西洋音楽と呼ばれるものだった・・・それだけのことです。時折、身体の奥底に日本民族としての血を感じることがないわけではありませんが、今は西洋音楽を美しいと感じ、その美しさを追求したいと思っています。 |
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