もの思いの放課後

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あの歌この歌・好き嫌い@( 秋の歌@ )                       2006.10.28
 10月も下旬となり、朝夕の肌寒さに秋の深まりを感じます。私のクラスでは、朝の会のプログラムの中に「朝の歌」というのがあって、子どもたち全員が持っている学校の歌集「みんなで歌おう」の中から、月ごとにその季節に合った歌を選んで歌っているのですが、今月は「星の世界」と「里の秋」を歌っています。「星の世界」も「里の秋」も秋の歌として私が好きなものです。

 「星の世界」を初めて知ったのは私が小学生のときで、音楽の授業で習いました。この曲は、現在仙台市内の小学校で使われている音楽の教科書にも載っています。私が習ったのは、チャールス・コンバースの曲に川路柳虹が作詞した、1番の歌詞が「輝く夜空の 星の光よ〜」で始まるもの(学校の歌集も、教科書もこの歌詞)です。このほかに、杉谷代水が「星の界(よ)」という題名で作詞した「月なきみ空に きらめく光〜」というのもあるそうです。みなさんは、どちらの歌詞の方をよくご存知なのでしょうか。
 音楽の時間にこの曲を習ったとき私は、「歌詞の内容をよく表した、簡潔だけれども宇宙的な広がりのあるメロディーだなあ」と感じました。そして、そんな素敵なメロディーをもつこの曲が好きになりました。ところが何年か後に、この曲と違った形で再会することになるとは、そのときは予想だにしませんでした。

 大学の2年生のとき、合唱団で読譜力のなさを痛感していた私は、ソルフェージュの授業を取ることにしました。ソルフェージュの授業の中には、もちろん聴音もあったのですが、音楽科の学生の受講を前提としている授業なので、先生は讃美歌をピアノで弾いて最初から4声の聴音をさせたのです。読譜力がなくて授業を取った私が、いきなり4声なんて聴き取れるはずがありません。全くのお手上げ状態でした。でも、何もせずに手をこまねいているわけにもいかないと思って、讃美歌の本と讃美歌名曲選のカセットテープを買って来て聴音の練習をすることにしました。楽譜を見ながら音を聴いて、楽譜と聞こえて来る音とを結びつける練習をしようと考えたのです。
 買ってきたカセットテープの3曲目、讃美歌312番「いつくしみふかき」をかけた途端に聞き覚えのあるメロディーが流れてきました。そうです。小学校で習った「星の世界」です。
 私は、今まで「星の世界」だとばかり思っていたこの曲が、じつは讃美歌だったことを知って大変驚きました。そして、今まで親しんできた「星の世界」のメロディーに「輝く夜空の 星の光よ〜」ではない全く別の歌詞が付いていることに非常に違和感を感じました。(あたかも「星の世界」の替え歌を聞いているような気がしました。)
 その後、そのカセットテープを何度も聞いたり、カセットテープ以外でもこの讃美歌を聞く機会があったりして、次第に「いつくしみふかき〜」の歌詞で歌われることにあまり違和感を感じなくなっていきました。しかし、初めて聞いたときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。

 今では、私はこの曲を「星の世界」としても「いつくしみふかき」としても受け入れることが出来ます。それはコンバースのメロディーがごく簡潔でありながら、その簡潔さゆえに永遠性や無限性を感じさせる優れたものであり、宇宙の広さを歌った「星の世界」の歌詞にも、神の愛の深さを歌った讃美歌の歌詞にも響き合うからだと思います。

あの歌この歌・好き嫌いA( 秋の歌A )                       2006.11. 3
 小学校で習ったことをはっきりと覚えている「星の世界」とは違って、「里の秋」をいつどのようにして知ったのか私には全く記憶がありません。「里の秋」は、いつの間にか日本の秋の歌として私の中に定着していました。

 「里の秋」は、さらっと聞くと、歌詞もメロディーも、いかにも古き良き日本の秋の風景・静かに更けて行く田舎の秋の夜そのものといった感じで、ほのぼのとさせられます。しかし、よく聞くとこの歌はただほのぼのとしているだけではありません。
 1番の歌詞の「母さんとただ二人」、2番の歌詞の「父さんのあの笑顔 栗の実食べては 思い出す」というところから、歌われているのは何かの事情で父親のいない母子二人っきりの家だということが分かります。それが田舎の穏やかな秋の情景に縁取られて、明るく伸びやかなメロディーに乗って歌われているので、寂しいけれど健気につつましく暮らしている母子の様子が思い浮かび、「父さんはどうしたのだろう」「この母子、日々の暮らしはどうしているのだろう」と思わず感情移入してしまいます。そんな母子の境遇と、秋の季節としての寂しさ・物悲しさと、懐かしい田舎の風景とが渾然一体となって、この歌は聞くものに強い郷愁を感じさせます。

 私はつい最近まで、この歌は2番で終わりなのだと思っていました。子どもたちの歌集にも載っていますが、それも2番までしか書いてありませんでした。クラスで「里の秋」を10月の「朝の歌」として歌うことに決まったとき、私は歌集とタイアップしてすっかり同じ曲目が入って発売されているCDでこの歌を聴いてみました。すると、歌集には2番までしか載っていなかったのに、CDでは3番まで歌われていました。その3番を聞いて驚きました。

 3. さよなら さよなら 椰子の島  おふねにゆられて 帰られる
    ああ 父さんよ ごぶじでと  今夜も母さんと祈ります 

 何と、この歌は父さんの復員を待つ母子の歌だったのです。3番まで聞くと1番・2番では謎めいていたこの家の事情もすっかり理解できます。しかし、3番まで聞いてしまうと、あまりにも現実的で生々しく、シチュエーションが限定されてしまうので、歌の世界に広がりとか余韻とかいったものがなくなってしまうように感じます。
 3番を知ってからでも、私が「里の秋」を好きなことには変わりありませんが、私としては、1番・2番だけ歌って、「静かな秋の夜に、囲炉裏で栗を煮ているある母子の歌」とする方がいいように思います。

<<もの思いの合間に
あの歌この歌・好き嫌いB( 秋の歌B )                       2006.11.12
 1.秋の夕日に 照る山もみじ  こいもうすいも かずあるなかに
   松をいろどる かえでやつたは  山のふもとの すそもよう

 2.谷の流れに 散り浮くもみじ  波にゆられて はなれてよって
   赤や黄いろの色さまざまに  水の上にも 織る錦

 秋、美しく色づく山々の紅葉を歌った名曲「もみじ」(高野辰之作詞 岡野貞一作曲)です。これは現在の音楽の教科書にも載っています。歌詞は古めかしい言い回しで意味が分かりにくいし、メロディーもごくシンプルで飾り気がないのですが、子どもたちは気に入っているようです。私も小学校で習って以来好きな曲で、紅葉の鮮やかな色彩が目に浮かぶ、日本の秋を歌った曲の中でもトップクラスの名曲だと思っています。
 よく二部合唱のかたちで歌われますが、カノン風の前半、3度のハーモニーとなる中盤、ポリフォニックな動きを見せる終盤と、2声での編曲も優れており、こちらも名曲の名に恥じないものだと思います。

 同じように秋の色彩について歌った「まっかな秋」(薩摩忠作詞 小林秀雄作曲)という曲がありますが、私はこの曲がどうも好きになれません。初めてこの曲を聞いたとき1番の「沈む夕日に照らされて まっかなほっぺたの君と僕」の部分がなぜかとても恐ろしく感じました。
 2番の「からすうりってまっかだな」についても、(私は岩手の田舎に育ったので、からすうりは近くの空き地などにも生えていて、秋には実がなっているのも見ましたが)その実は黄色っぽく、いくら熟してもオレンジ色を濃くしたような色になり、すっかり赤くはなりませんでしたから、まっかなからすうりというのも不気味に感じました。
 3番の「遠くのたき火」も、私はまっかだと思えませんでした。また同じく3番の「お宮の鳥居をくぐりぬけ」は、鳥居が赤いというところからの歌詞だと思いますが、ここでは逆にペンキ塗りたての人工的などぎつい赤色をした鳥居を思い浮かべてしまいました。
 幼い私には、なんでも「まっか」の一言に括ってしまう歌詞の乱暴な色彩感覚が許せませんでした。その思いは今でも消えることなく、私はこの曲が好きになれないのです。

あの歌この歌・好き嫌いC( 夕日の歌 )                       2006.11.19
 1.ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む  ぎんぎんぎらぎら 日が沈む
   まっかっかっか 空の雲  みんなのお顔もまっかっか
   ぎんぎんぎらぎら 日が沈む

 2.ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む  ぎんぎんぎらぎら 日が沈む
   烏よ お日を追っかけて  まっかに染まって 舞ってこい
   ぎんぎんぎらぎら 日が沈む

 葛原しげる作詞、室崎琴月作曲の「夕日」ですが、私はこの曲が好きではありません。前回書いたように「まっかな秋」は、何でも「まっか」にしてしまう歌詞の色彩感覚が許せませんでしたが、この「夕日」は、作詞者・作曲者の夕日のとらえ方・感覚が私の感覚とあまりにも違うので受け入れられないのです。
 作詞者は夕日をエネルギッシュなものととらえているようです。作曲者もその歌詞に合わせて、シンプルな元気のよいメロディーをつけています。でも、私はどうしても夕日が「ぎんぎんぎらぎら」とは感じられないし、空の雲が「まっかっかっか」とは思えないのです。私にとって、夕日はもっと優しくて穏かであり、夕焼け空の雲の色はもっと微妙で繊細な色合いです。
 この曲は歌詞とメロディーの相乗効果でエネルギッシュでどぎつい表現になっており、私の感覚とかけ離れているので好きになれません。

 私が夕日の歌として一番好きなのは、「夕日が背中を押してくる」(坂田寛夫作詞 山本直純作曲)です。この曲、メロディーがいいのです。(それはもちろん、そのようなメロディーを引き出す歌詞があったからなのですが)なめらかで優雅で優しく、私が感じる夕日のイメージそのものといった音なのです。
 もう10年以上前に、担任したクラスで「朝の歌」としてこの曲を歌ったことがあります。子どもたちといっしょにこの歌を歌っていたら、自分が子どものころの夕方の風景が脳裏に浮かんで、思わず涙がにじんでしまいました。そして、なんだか早くうちに帰りたいような気分になってしまいました。どうやら子どもたちも同じ気持ちのようでした。朝からこうしんみりしてしまっては、気持ちを切り替えて元気よく一日をスタートさせるのが難しいので、それ以来、この曲は「朝の歌」としては歌わないことにしました。

あの歌この歌・好き嫌いD( 夕方のおかあさん )                  2006.11.26
 「あの歌この歌・好き嫌い」も5回目となりましたが、そういえば、まだ読者のみなさんにこのシリーズのコンセプトを明確にお伝えしていませんでした。遅ればせながら、ここで「あの歌この歌・好き嫌い」がどんな方向性を持ったエッセイなのか明らかにしたいと思います。

 今までの4回分を読んでお分かりのように、このシリーズは、毎回いろいろな歌を取り上げて、私がその歌を好き(嫌い)な理由や、好き(嫌い)になった経緯などを述べるエッセイです。
 題名の「あの歌この歌〜」からすると、どんな歌について書いても良いわけですが、私は、主に誰でも知っている童謡や文部省唱歌、教材として音楽の教科書に載っているような歌を取り上げるつもりです。誰でも知っている歌について、自分はなぜ好きなのか、あるいは、なぜ嫌いなのか考えて、それをエッセイに書くことによって、漠然として分かりにくい「自分の音楽的な感性がどういうものなのか」を自分で捉えられると同時に、読者のみなさんに知ってもらうことが出来ると思ったからです。いわば、具体的な一つ一つの歌の好き嫌いを通して、自分の音楽的な感性を浮き彫りにして行こうというシリーズだとご理解ください。

 今から4年ほど前に、仙台放送合唱団は若林区童謡フェスティバルに出演しました。その頃、仙唱はNHKのスタジオが使えないときや、特別練習・強化練習のときなどに若林区文化センターをよく利用していました。その若林区文化センターの主催行事ということで、普段あまり童謡に縁のない仙唱にもフェスティバルへの出演依頼が来たように記憶しています。
 本番前日に会場の若林区文化センターでリハーサルがありました。仙唱のリハーサル予定時間より少し早く会場に着いた私は、客席で他の団体のリハーサルを聴くことにしました。そのときステージでは、特別出演として招かれていた仙台オペラ協会のソプラノ・北村裕子さんのリハーサルが始まったところでした。そこで歌われたのが「夕方のおかあさん」(サトウハチロー作詞 中田喜直作曲)でした。
 涼しげなカナカナゼミを思わせるピアノの前奏に続いて、優しいメロディーをもった歌が流れ出しました。歌い出しの「カナカナゼミが遠くで鳴いた〜」という歌詞を聞いて、「ああ、やっぱり前奏はセミの声を模倣した音だったんだ」「そういえばこの歌、前にどこかで聞いたことがあったなあ」とそんなことを思いながらも、私はもう歌の世界に引き込まれていました。

 ひよこのかあさん 裏木戸あけて ひよこを呼んでる ごはんだよ
 やっぱりおなじだ おなじだな

 以前この歌を聞いたときには、何も感じないでただ聞き流していたのに、この時は違いました。「ごはんだよ」の呼び声が心に染み渡りました。子どもを呼ぶ母親の愛情あふれる声は、いつの時代でも、どこ世界でも(それがたとえ動物の世界でも)変わることがないのだと、ごく自然に思えました。そして、この時から「夕方のおかあさん」という歌が大好きになりました。
 でも、昔はよく見られたそんな光景も、最近ではあまり見かけなくなりました。夕方、暗くなるまで路地や公園などで元気に遊んでいる子どもたちはほとんどいないし、子どもたちを呼ぶお母さんの「ごはんだよ」の声も、聞かれなくなってしまいました。

あの歌この歌・好き嫌いE( 冬の星座 )                       2006.12. 2
 12月に入って朝夕はとても寒くなりました。日中でも日差しがないときなどは吹く風が冷たく、本格的な冬の到来を感じさせられます。いよいよ凍てつくような夜空に、くっきりと星が輝く季節になりました。
 このシリーズの第1回に「星の世界」について書きましたが、じつは、「星の世界」を学校で習うよりもずっと前に、私の心に沁みた(そして「星の世界」よりももっと好きな)星の歌が「冬の星座」(堀内敬三作詞  W.S.ヘイス作曲)なのです。
 初めて「冬の星座」を聞いたのは小学校低学年の頃だったでしょうか、確か NHK のドラマか何かの BGM としてでした。満天の星空をバックに女の人が何か予言めいた言葉を語るシーンで使われていたように記憶しています。
 歌詞はなくてメロディーだけでしたが、私はなぜかこの曲に強く惹かれました。そのときの感覚を思い出してみると、幼い私には、5音階を上行し下降するだけのとてもシンプルな旋律が、満天の星空の映像と相まって、とても神秘的に聞こえました。(幼いからそう感じたのではなく、もしかすると永遠性や神秘性は、いつでもシンプルなものの中に潜んでいるのかもしれません。)また、冒頭の5音階のシンプルなメロディーだけでなく、7〜8小節の「奇しき光よ」という歌詞の部分に付けられた Y→V→W→X の和声進行にもグッと来ました。
 でも、上に書いたようなもっともらしい理屈は全て後付けであって、そのときは何の理由も理屈もなしに一瞬の閃きのようにこの曲が好きになったのです。

 さて、今回エッセイを書くにあたって調べてみたら、「冬の星座」の原曲 "Mollie Darling" についていろいろなことが分かりました。まず、原曲 "Mollie Darling" (いとしのモーリー)は、W.S.ヘイス作詞・作曲のメロメロなラブ・ソングで、2番の歌詞の中に星や月という言葉は出てきますが、内容的には星座や宇宙の神秘とは全く関係のない歌です。原曲には堀内敬三が作詞した部分のほかにコーラス部分があります。以下に原曲のコーラス部分を含む1番の歌詞を掲載します。

"Mollie Darling" (1872) A Companion to "Mollie Brawn"
Song and Chorus Written and composed by William Shakespeare Hays, 1837-1907

 1. Won't you tell me Mollie darling, That you love none else but me?
    For I love you Mollie darling, You are all the world to me.
    O! tell me, darling, that you love me, Put you little hand in mine,
    Take my heart, sweet Mollie darling, Say that you will give me thine.
    (CHORUS)
    Mollie, fairest, sweetest, dearest, Look up, darling, tell me this;
    Do you love me, Mollie darling? Let you answer be a kiss.

 原曲のコーラス部分を聴いてみたところ、私には、前の部分の神秘性がいっぺんに吹っ飛んでしまうようなとても俗っぽいメロディーに感じられました。
 "Mollie Darling" は、コーラス部分が省かれ、堀内敬三の格調高い日本語の歌詞が付けられたことによって、日本で「冬の星座」という名曲になったのだと思います。(「名曲になった」という表現は正しくないかもしれません。原曲も、発表当時、大変に流行した歌だったようですから・・・)

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