現在、(亡くなってもう25年以上経つので)木下保の名を知っている人はあまり多くないかも知れません。グローブ音楽辞典では、木下保は「声楽家(テノール)、声楽・合唱指導者」ということになっています。けれども、私が木下保を知ったのは、信時潔作曲の歌曲集「沙羅」の編曲者としてでした。信時潔が作曲した「沙羅」は、もともと独唱用の歌曲集だったのですが、それを木下保が混声合唱組曲として編曲していたのです。
私が大学の合唱団に入って初めての定期演奏会で、混声合唱組曲「沙羅」を歌いました。このときは4ステージ全てが日本語の曲という演奏会でしたが、第1ステージが「沙羅」でした。(第1ステージは、当時副指揮者のNさんが指揮をしました。)
定期演奏会で歌うので、Nさんが持っていた東京放送合唱団の歌った「沙羅」のレコードを貸してもらって聴きました。このレコードは2枚組でしたが、そのうちの1枚半にリハーサルの様子が録音されていて、指揮者のさまざまな要求や指示のもと曲が仕上がっていく過程が克明に分かるのです。その指揮者が木下保でした。
木下保は作曲者の信時潔に直接教えを受けたということでしたし、作詩の清水重道とも関わりがあったようですが、レコードでリハーサルの様子を聴くと、まさに「沙羅」の隅々まで知り尽くしているという印象を受けました。合唱団に対して、曲の明確なイメージを伝え、言葉の扱いなど細かいところまで指示を出していました。
第1曲の「丹澤」では、「枯れ笹を表すために歌い出しの「か」の子音を乾いた感じの音にするように」とか、尾根という言葉の歌い方で、「おおね(大根)にならないように」とか、曲の最後「ひとりという言葉には人間の寂しさ、人生の寂しさが表れるように歌う」など、当たり前と言えば当たり前の指示なのですが、ものすごい説得力をもって響きました。
第2曲の「あずまやの」のピアノ伴奏に対して「一見するとシューベルトのような16分音符の分散和音だけれども、太棹三味線の音で弾くように」というあたりなどは、きっと作曲者の信時潔が木下保にそう言っていたのだろうと思われました。
中には第3曲「北秋の」の「名づけてよ君という部分をクレッシェンドして歌い切る」とか、第5曲の「鴉」の「ついばむという言葉は語感を生かすためにスタッカートにしない」とか、私としては首を傾げたくなる指示もありました。また、第7曲「占ふと」で歌われているのは女ではなく、男だ(詩の中に「くしけずる」とか「黒髪」とか出てくるので女の詩かと思われるかもしれないが、昔は男も髪が長かった)と説明していましたが、私はやはり女の詩だと考えるのが自然ではないか?と納得がいきませんでした。
そのほかの木下保の指示はほとんど忘れてしまいましたが、どれも確固たる信念を持って、自分の曲に対する明確なイメージを具現化する言葉だったような気がします。
指示そのものは、必ずしも納得できるものばかりではありませんでしたが、指揮者は曲を仕上げていくときにこうあるべきだというひとつのモデル像として木下保は私の心に焼きつきました。
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